資治通鑑漢紀四十四 孝順皇帝 永和 四年 139年
張逵らの誅殺と梁商の請願
- 春正月庚辰、張逵らは誅殺された。事件は弘農太守の張鳳、安平相の楊皓にも及び、いずれも死罪となった。
- 取り調べは在職大臣にも広がりかねず、梁商は、春秋の義では功は元帥に帰し罪は首悪に止めるべきだとして、獄を早く終え無辜への追捕をやめるよう上疏した。皇帝はこれを受け入れ、罪は関係者だけにとどめられた。
梁不疑と梁商の辞退
- 二月、皇帝は梁商の少子で虎賁中郎将の不疑を歩兵校尉にしようとした。
- 梁商は、不疑はまだ幼く重職にふさわしくないと辞退し、晏嬰や公儀休の故事を引いて、過分な恩によりかえって禍を招かぬよう願った。皇帝は最終的に不疑を侍中・奉車都尉とした。
羌・地震・封建
- 三月乙亥、京師で地震があった。
- 焼当羌の那離らが再び反し、夏四月癸卯、護羌校尉の馬賢が討って斬り、首虜千二百余級を得た。
- 戊午、大赦が行われた。
- 五月戊辰、故済北恵王寿の子の安が済北王に封じられた。
- 秋八月、太原で干ばつがあった。