資治通鑑漢紀四十四 孝順皇帝 陽嘉 四年 135年
北辺と宦官
- 春、北匈奴の呼衍王が車師後部に侵入した。敦煌太守が救援兵を出したが、戦果は振るわなかった。
- 二月丙子、中官に養子を立てて爵位を継がせることが初めて許された。
- 皇帝が復位できたのは宦官の助力によるところが大きく、そのため彼らは寵遇され政事にも参与していた。御史の張綱は、昔の明帝・章帝の時代を引き、近年は無功の小人に爵位が乱発されていると批判したが、取り上げられなかった。
羌討伐と梁商の登場
- 日照りの中、謁者の馬賢が鍾羌を討って大いに破った。
- 夏四月甲子、太尉の施延が免官となった。
- 戊寅、執金吾の梁商が大将軍に、故太尉の龐参が太尉に任じられた。梁商は病を理由にしばらく出仕せず、皇帝が太常の桓焉に策書を持たせて自宅で拝命させ、ようやく受命した。
李固の進言
- 梁商は学識があり謙恭で士を好み、巨覧・陳亀・李固・楊倫らを幕僚に招いた。
- 李固は、災異が相次ぐ以上、大将軍が外戚として名誉に安住せず、政治の綱紀を立てて忠正を伸ばすべきだと勧めた。しかし梁商は用いなかった。
烏桓侵入と地震
- 秋閏八月丁亥朔、日食があった。
- 冬十月、烏桓が雲中に侵入し、度遼将軍の耿曄が追撃したが不利だった。
- 十一月、烏桓は蘭池城で耿曄を包囲したが、数千の救兵が来ると退いた。
- 十二月丙寅、京師で地震が起こった。