資治通鑑漢紀四十四 孝順皇帝 陽嘉 三年 134年

北匈奴・羌への軍事行動

  • 夏四月、車師後部の司馬が後王の加特奴を率いて閶吾陸谷で北匈奴を急襲し、大勝した。単于の母を捕らえた。
  • 秋七月、鍾羌の良封らが再び隴西・漢陽を侵したため、前校尉の馬賢が謁者として派遣され、諸羌の鎮撫にあたった。
  • 冬十月、護羌校尉の馬続が兵を出して良封を破った。

干ばつと政治批判

  • 五月戊戌、春から夏にかけて日照りが続いたため大赦が行われ、皇帝は徳陽殿東廂で自ら露座して雨を祈った。
  • 尚書の周挙は策問に対し、災異の根本は政治の乱れと奢侈にあるとして、後宮の整理、宮中のぜいたくな食費削減、徳にかなう政治への転換を強く求めた。
  • 皇帝が面会して得失を問うと、周挙は官人任用を慎み、貪汚と佞邪を遠ざけるべきだと答えた。忠言を述べる公卿は忠貞であり、へつらって保身する者こそ佞邪だとした。

張衡の上疏

  • 太史令の張衡は、前年の京師の地震を政治権威の分散と民心の動揺の兆しとみなし、刑賞・任免などの大権を天子のもとに集中させるよう求めた。
  • さらに、当時流行していた図讖は後世の偽作であり、古典の正学をそこなうものだとして、図讖を収蔵して禁絶すべきだと論じた。

人事

  • 十一月壬寅、司徒の劉崎・司空の孔扶が罷免された。これは周挙の進言を採り入れたものである。
  • 乙巳、大司農の黄尚が司徒となり、光禄勲の王卓が司空となった。
  • 耿貴人がたびたび耿氏の復権を求めたため、皇帝は耿宝の子の耿箕を牟平侯に再封した。