資治通鑑漢紀 孝順皇帝上 永建四年 129年

春正月 加冠と大赦

  • 正月丙寅、天下に大赦があった。
  • 丙子、順帝は元服した。

夏五月 桂陽太守の献珠を退ける

  • 五月壬辰、帝は、国内にはなお災異があり、朝廷も倹約して珍玩を避けているのに、桂陽太守文礱が大珠を献じて媚びようとしたのは不忠であるとして、珠をそのまま返却した。
  • この年、五州で長雨・水害があった。

秋八月から九月 三公交代と三郡復置

  • 八月丁巳、太尉劉光・司空張皓が免官された。
  • 尚書僕射虞詡は、安定・北地・上郡は山河の険阻と沃野を備え、牧畜にも灌漑にも適する地であるのに、羌乱以来二十年以上も捨てられているのは不利だと上奏した。
  • また、西漢の園陵は今や防衛線の外にあり、公卿は費用ばかりを論じて安危を図らないと批判した。
  • 九月、詔して安定・北地・上郡を旧地に復した。
  • 龐参が太尉となって尚書事を録し、王龔が司空となった。

冬十一月から十二月 司徒交代と于窴・拘弥事件

  • 十一月庚辰、司徒許敬が免官された。
  • 鮮卑が朔方へ侵入した。
  • 十二月乙卯、宗正劉崎が司徒となった。
  • この年、于窴王放前は以前に拘弥王興を殺し、その子を拘弥王として立てていた。
  • 敦煌太守徐由はこれを討つよう奏請したが、帝は于窴を赦し、拘弥国を返還させようとした。
  • しかし放前は従わなかった。