資治通鑑漢紀四十一 孝安皇帝上 元初 一年 114年

改元と春の災異

  • 正月、元号を元初と改めた。
  • 二月、日南で地が裂け、長さ百余里に及んだ。日付については諸書に異同があり、胡三省は暦法に基づいて訂正している。
  • 三月、日食があった。

邊境防衛と蜀郡の乱

  • 河内の交通要地三十六か所に兵を屯し、塢壁と警戒用の鼓を設けて羌寇に備えた。これは太行山から恒山にかけて并・冀を結ぶ谷道の防衛であった。
  • 四月、天下に大赦。京師と五郡国では旱魃と蝗害が起こった。
  • 五月、先零羌が雍城を寇し、蜀郡の夷が蠶陵で乱を起こして県令を殺した。

秋:武都・漢中方面の戦い

  • 九月、太尉の李修が罷免された。
  • 羌の豪族号多が諸種とともに武都・漢中を掠めると、巴郡の板楯蛮が救援に赴いた。板楯蛮は古くから巴地に住み、勇武で知られる部民である。
  • 漢中の五官掾・程信が郡兵を率いて蛮兵と協力し、号多を破った。号多は隴道へ逃げ、零昌と合流した。
  • 侯覇・馬賢は枹罕でこれを破った。
  • 大司農の司馬苞が太尉となった。

冬:日食と皮楊の敗北

  • 十月朔、日食があった。
  • 涼州刺史の皮楊が狄道で羌と戦って大敗し、八百余人が死んだ。狄道はすでに漢の実効支配が薄れていた可能性もあり、その点について胡三省が補説している。
  • この年、十五郡国で地震があった。