資治通鑑漢紀四十一 孝安皇帝上 永初 六年 112年
正月〜四月:節供簡素化と人事
- 正月、供薦の新味には時節に反して土室で育てたり、萌芽を掘り出したりするものが多く、自然の生長を損なうとして、陵廟への祭祀と御用以外では、その季節のもののみを上進するよう命じた。省かれた品目は二十三種に上った。
- 三月、十州で蝗害が起きた。
- 四月、司空の張敏が罷免され、劉愷が司空となった。
- 建武の元功二十八将については、みな封を継承させるよう詔が出た。
五月〜六月:旱魃対策と漢陽の賊討ち
- 五月に旱魃があり、百官の俸秩を中二千石から黄綬の官まで一律にもとに戻した。此前に削減していた給与を回復したのである。
- 六月、豫章郡の員谿原で山崩れが起きた。
- 辛巳、天下に大赦。
- 侍御史の唐喜が漢陽の賊の王信を討ち、これを斬った。杜季貢は逃れて滇零のもとへ走った。
年末:滇零の死と狼莫・杜季貢
- この年、滇零が死に、その子の零昌が立ったが年少であったため、同種の狼莫が計略をめぐらした。
- 杜季貢はその将軍となり、別に丁奚城に拠った。