資治通鑑漢紀四十 孝和皇帝下 永元 十年 98年
夏五月 京師大水
- 京師で大水が起こった。
秋七月・八月 司空交代
- 七月己巳、司空韓稜が死去した。
- 八月丙子、太常で太山の巣堪を司空に任じた。
冬十月 五州の水害と羌政策の転換
- 五州で長雨と水害があった。
- 行征西将軍劉尚と越騎校尉趙世は、臆病で戦いを避けたとして徴され、下獄のうえ免官となった。
- 王信が劉尚の営を引き継いで枹罕に屯し、耿譚が趙世の営を引き継いで白石に屯した。
- 耿譚は賞金を掲げて諸種を招き寄せると、かなりの者が内附し、迷唐は危機を感じて降伏を願い出た。
- 王信と耿譚はこれを受け入れ、軍を解いた。
- 十二月、迷唐らは部衆を率いて朝廷に来て貢物を献じた。
梁節王暢の死
- 戊寅、梁節王暢が死去した。
劉愷の譲国
- もと居巣侯劉般が死去したのち、子の劉愷が嗣ぐべきところ、父の遺意として弟の劉憲に譲ろうとし、長く姿を隠していた。
- 有司はそのままでは国を絶やすとたびたび奏上したが、賈逵は礼譲の心を法の常例だけで裁くべきでないと上書した。
- 皇帝はこれを受け入れ、劉憲に爵を継がせ、この件を特例とした。
- 劉愷は召されて郎となった。
南単于の交代
- 南単于師子が死去し、単于長の子檀が万氏尸逐鞮単于として立った。