資治通鑑漢紀四十 孝和皇帝下 永元 八年 96年
春二月 陰氏を皇后に立てる
- 貴人陰氏を皇后に立てた。彼女は光武の皇后陰識の曾孫にあたる。
楽成国の断絶
- 夏四月、楽成靖王党が死去し、子の哀王崇が立ったが、ほどなく死に、子がなかったため国は除かれた。
蝗害
- 五月、河内・陳留で蝗害が起きた。
- 九月、京師でも蝗害があった。
南匈奴烏居戦の離反
- 南匈奴の右温禺犢王烏居戦が離反して塞外へ出た。
- 秋七月、度遼将軍龐奮と越騎校尉馮柱がこれを追撃して破り、その残党と諸降胡二万余人を安定・北地へ移住させた。
車師後部の反乱
- 車師後部王涿鞮が反乱し、前王尉畢大を攻め、その妻子を捕えた。
北海王威・陳敬王羨の死
- 冬十月乙丑、北海王威は、敬王の子ではないうえ誹謗の罪もあって自殺した。
- 十二月辛亥、陳敬王羨が死去した。
南宮火災
- 丁巳、南宮の宣室殿が火災に遭った。
羌討伐の失敗
- 護羌校尉貫友が死去し、漢陽太守史充が代わった。
- 史充は到着すると湟中の羌胡を発して出塞し、迷唐を攻撃したが、迷唐に迎撃されて大敗し、数百人を失った。
- 史充は召し返され、代郡太守呉祉が後任となった。