春正月 元服
- 正月甲子、皇帝は曹褒の新礼にもとづいて元服を行った。儀礼は冠礼に準じ、高祖廟で緇布冠・進賢冠・爵弁・武弁・通天冠へと順に改めた。
- 曹褒は羽林左監に抜擢された。
二月 北単于滅亡同然
- 竇憲は、北匈奴が微弱になったのを見て、ついに根絶しようとした。
- 左校尉耿夔・司馬任尚を居延塞から出し、金微山で北単于を包囲させた。
- 大破して、その母閼氏や名王以下五千余級を得たが、北単于自身は逃走し、以後所在不明となった。
- 漢軍は塞外五千余里に達して帰還し、漢の出兵として未曾有の遠征となった。
- 耿夔はその功で粟邑侯に封じられた。
竇憲の威勢極まる
- 大功を立てた竇憲は、さらに名声を高め、耿夔・任尚を爪牙、鄧疊・郭璜を心腹とし、班固・傅毅らが文章を担った。
- 刺史や守令の多くもその門から出るようになり、吏民は賄賂を競って送った。
- 司徒袁安・司空任隗は、これに連なる二千石ら四十余人を弾劾して降格・免官にしたため、竇氏は深く恨んだ。しかし袁安・任隗はもとより名望が高く、ただちに害することはできなかった。
楽恢の死
- 尚書僕射楽恢は糾弾に際して少しも避けるところがなく、竇氏に憎まれた。
- 彼は上書して、皇帝はまだ若く、外戚たる諸舅は王室の正政に干渉すべきでない、いま必要なのは上は義によって断ち、下は謙退することであり、そうしてこそ竇氏も栄誉を長く保てると説いた。
- しかし上疏は省みられず、楽恢が病を称して帰郷を願うと、竇憲は州郡に圧力をかけて彼を自殺に追い込んだ。
- このため朝臣はみな震え、風向きをうかがって竇憲の意向に逆らう者はいなくなった。
袁安の存在
- 袁安は、天子が幼く外戚が専権する現状を憂え、朝会や国事の議論のたびにしばしば声を詰まらせ涙を流した。
- 皇帝から大臣に至るまで、皆がその節義と存在に頼っていた。
冬十月 長安行幸と韓稜の直言
- 冬十月、皇帝は長安に行幸し、蕭何・曹参の近親のうち後嗣となるべき者を探して、その封邑を継がせるよう命じた。
- 竇憲にも車駕と長安で合流するよう詔が出た。憲が到着すると、尚書以下は伏して万歳を称えようと議した。
- しかし尚書韓稜は、人臣が万歳を称する礼はないとして正色で反対し、皆は恥じて取りやめた。
王龍の媚附
- 尚書左丞王龍はひそかに牛酒を竇憲へ贈った。
- 韓稜はこれを弾劾し、王龍は城旦の刑に処せられた。
西域都護の再設置
- 龜兹・姑墨・温宿など諸国がみな降ると、十二月、朝廷は西域都護・騎都尉・戊巳校尉の官を復置した。
- 班超を都護、徐幹を長史とし、龜兹の侍子白霸を龜兹王に立て、司馬姚光に送らせた。
- 班超は姚光と協力して龜兹王尤利多を廃し、白霸を立て、尤利多は京師へ送られた。
- 班超は龜兹の它乾城に駐し、徐幹は疏勒に屯した。焉耆・危須・尉犁の三国だけは、かつて都護を没した因縁からまだ二心を抱いていたが、その他の西域諸国はほぼ平定された。
年末 北匈奴再編をめぐる論争
- 北単于が失踪すると、その弟の右谷蠡王於除鞬が蒲類海で自立し、数千人を率いて漢に帰服した。
- 竇憲は、彼を新たな北単于に立て、中郎将を置いて南単于と同じように統轄させる案を出した。
- 宋由らは賛成したが、袁安・任隗は、もともと南単于を内附させたのは北狄を防ぐための便宜であり、今や朔漠が安定したなら南単于を北庭へ戻して降衆を統率させるべきで、あえて於除鞬を新たに立てれば国家の費用を増やすだけだと反対した。
- 袁安はさらに単独で上封事し、南単于は三代にわたって積み上げた漢の信義の上に成り立っているのに、今これを中止して新たな降人を立てれば養ってきた者への失信となり、諸夷も二度と漢の誓約を信じなくなると論じた。
- また、鮮卑・烏桓は優留単于を殺して北匈奴と仇敵関係にあり、その弟を立てれば怨みを抱くこと、南単于への支出だけでも年一億九十余万、西域にも七千四百八十万を要するのに、さらに北庭を遠く維持するのは費用が倍加すると指摘した。
- 竇憲は袁安と激しく論争し、光武帝が韓歆・戴渉を誅した前例まで引いて威圧したが、袁安は屈しなかった。
- それでも最終的に皇帝は竇憲の案を採用した。