資治通鑑漢紀三十八 肅宗孝章皇帝上 元和 元年 84年
閏正月・夏六月 王侯の薨去と任城王の立封
- 閏正月卒丑、済陰悼王長が薨じた。
- 夏四月己卯、東平国を分け、東平献王蒼の子尚を任城王に封じた。
- 六月辛酉、沛献王輔が薨じた。
選挙・尚書人事をめぐる議論
- 当時、郡国の貢挙が功次に基づかず、職務への熱意が失われ、吏務も疎かになったとして、原因は州郡にあるという論が多かった。
- 皇帝は公卿・朝臣に議論を命じた。
- 大鴻臚韋彪は、人物選抜では孝行と才行を重んずべきで、純然たる門閥や履歴だけに依るべきではないと論じた。
- また、要点は二千石の長官選びにあり、そこが賢ければ推挙人材も自然に整うと述べた。
- さらに韋彪は、尚書こそ天下の枢要であるのに、近ごろは郎官から軽々しく昇進させすぎる、文法や応対に長じた小才の者ではなく、大局を担える人物を選ぶべきだと上疏した。
- 皇帝はこれらを採納した。
秋七月 拷問規制
- 秋七月丁未、法律では掠問は榜笞と立ったままでの訊問に限られ、箠の長さ・太さにも規定があるのに、近年の大獄以来、鉆鑚など惨酷な拷問が横行しているとして、秋冬の獄治にあたり明確にこれを禁ずる詔を出した。
太尉更迭と改元
- 八月甲子、太尉鄧彪を罷め、大司農鄭弘を太尉とした。
- 癸酉、改元して元和とした。
秋九月以後 南巡
- 丁酉、車駕は南巡に出た。通過する州県に対しては、物資の事前備蓄を禁じ、司空自らが徒を率いて橋梁を支えさせ、迎送や先触れのために使者を出すことも禁じ、違反した二千石は処罰するとした。
- 九月辛丑、章陵に幸し、十月己未には江陵へ進み、帰途には宛にも立ち寄った。
- ここで、以前臨淮太守として善政を行い、法に坐して免官されていた朱暉を召し、尚書僕射に任じた。
- 十一月己丑、車駕は還宮した。
塩・均輸をめぐる論争
- 尚書張林は、官府の経費不足を理由に、官営製塩と、武帝期の均輸法復活を進言した。
- 朱暉はこれに強く反対し、均輸は商売と変わらず、塩利を官が独占すれば民は困窮し怨むとして、明主の行うべき政ではないと主張した。
- 皇帝は怒って諸尚書を厳しく叱責し、朱暉らはみな自ら獄につながれた。
- 三日後、皇帝は釈放を命じ、国家は反対意見を喜んで聞くのだ、なぜ自ら獄に入るのかと諭した。
- しかし朱暉は病を称して議署を拒み、尚書たちが恐れて説得しても、信じてよくないことに同意するのは臣下の義に反すると言って口を閉ざした。
- 結局、同僚が連名で弾劾したが、皇帝は意を解いて事を止め、その後、使者や太医・太官の賜り物で朱暉をねぎらい、朱暉も起きて謝した。
孔僖・崔駰の議論
- 魯国の孔僖と涿郡の崔駰は太学で交わり、武帝は即位後しばらくは聖道を尊び文景に勝るほどだったが、後年は放縦に流れたと論じ合った。
- これを隣人の房生・梁郁が上書して、先帝誹謗・当世譏刺だと告発した。
- 事は有司に下され、崔駰は取調べを受けた。
- 孔僖は自ら弁明書を上げ、史書に明白な政績の是非を論じるのは誹謗ではなく事実の直言であり、もし誤っていれば改めればよいし、そうでないなら包容すべきだと述べた。
- さらに、言論を抑えれば天下は君主の心を窺って沈黙するようになると警告し、斉桓公が自ら先君の悪を挙げて管仲に問うた故事を引いて、遠くまで武帝の事実を隠そうとするのは危ういと論じた。
- 皇帝はただちに不問とし、孔僖を蘭台令史に任じた。
十二月 禁錮の緩和と義行者の顕彰
- 十二月壬子、妖悪によって禁錮され、三属にまで及んでいた者を一律に赦し、ただし宿衛に就けないだけとした。
- 廬江の毛義、東平の鄭均はともに郷里で孝行・義行で知られていた。
- 南陽の張奉は名声を慕って毛義を訪ねたが、ちょうど府の檄が届き、毛義が守安陽令に任ぜられると、喜色を見せたので軽蔑して立ち去った。
- しかし後に毛義は母の死後、いかなる徴召にも応じず、張奉は、先日の喜びは親のために身を屈して官に出たのだと知って、その人となりを見直した。
- 鄭均は、県吏である兄が賄賂を受けるのを諫め、聞き入れられないと自ら出奔して日雇いとなり、稼いだ金を兄に渡して、財物はまた得られるが贓罪で官を失えば一生を損なうと説いた。兄は感服して廉潔になった。
- 鄭均はのちに尚書となって免官帰郷していたが、皇帝は詔して毛義・鄭均を顕彰し、それぞれ穀千斛を賜い、毎年八月に長吏から起居を問わせ、羊酒を加賜した。
匈奴との交易と班超の進撃
- 武威太守孟雲は、北匈奴が再び吏民との交易を望んでいると上言し、詔して許した。
- 北匈奴の大且渠伊莫訾王らは牛馬一万余頭を率いて交易に来たが、南単于は軽騎を上郡から出してこれを襲い、大いに掠めて帰った。
- 皇帝はさらに仮司馬和恭らに兵八百を率いさせて班超のもとへ送った。
- 班超は疏勒・于窴の兵を発して莎車を攻めた。
- 莎車は賄賂で疏勒王忠を誘い、忠はこれに従って反した。
- 班超はそこで府丞の成大を新たな疏勒王に立て、反さなかった者を総動員して忠を攻めた。
- さらに康居王を説いて忠を捕えさせ、その国へ送り返させた。
- こうして烏即城は降伏した。