資治通鑑漢紀三十八 肅宗孝章皇帝上 建初 五年 80年
春二月 日食と蛮討伐
- 春二月庚辰朔、日食があった。
- 皇帝は直言極諫できる者を推挙させた。
- 荊州・豫州の諸郡兵が漊中蛮を討ち、これを破った。
夏五月 求言と官人登用
- 夏五月辛亥、皇帝は賢直の士を求める詔を出し、すでに意見を述べた者たちについて、左右に置いて顧問にしたいと表明した。
- あわせて、建武年間の「官は言辞ではなく職務で試すべきだ」という趣旨を引きつつ、現に外官に欠員が多いので、実務に補任すべきだとした。
- 戊辰、太傅趙熹が死去した。
班超の西域経略再開
- 班超は西域平定を成し遂げたいとして、増兵を求める上疏を行った。
- 彼は、龜兹さえ屈服させれば西域はほぼ平定できること、莎車・疏勒・月氏・烏孫・康居らも再び漢に帰附を望んでいること、白霸を龜兹王に立てて諸国兵と送ればよいことなどを説いた。
- また、莎車・疏勒は土地肥沃で、軍糧を中国本土から大きく運ばずとも足りること、姑墨・温宿も龜兹に不満を抱いており、離反が期待できると述べた。
- 皇帝は成功の見込みありと見て、平陵の徐幹が従軍を願い出ると、これを仮司馬とし、弛刑囚と義従千人を率いて班超のもとへ送った。
- そのころ莎車は漢兵が来ないと思って龜兹に降り、疏勒都尉の番辰も叛いたが、徐幹の到着にあわせ、班超は番辰を大破して千余級を斬った。
- さらに龜兹を攻めるにあたり、烏孫の大兵力を利用すべきだとして、使者を送って招慰・連合すべしと奏し、皇帝はこれを認めた。