資治通鑑漢紀 世祖光武皇帝下 建武 三十年 54年
春二月 東巡と封禅辞退
- 春二月、車駕が東巡した。
- 群臣は、即位三十年に当たるから泰山で封禅すべきだと奏した。
- 帝は、百姓はなお怨気を腹に満たしているのに、どうして天を欺けようか、林放にも及ばぬのに封禅して歴代帝王の記録を汚せようかと述べ、強く辞退した。
- 郡県が寿辞の虚美を上げるなら、その吏を髠刑にして屯田へ送るとまで言ったため、群臣は二度と軽々しく口にできなくなった。
甲子 魯・済南への行幸
- 甲子、帝は魯と済南へ幸した。
- 閏月癸丑、宮城へ還った。
- このころ紫宮に彗星が現れた。
夏五月・秋七月・冬十一月 災害と再巡幸
- 夏五月、大水があった。
- 秋七月丁酉、帝は再び魯へ行幸した。
- 冬十一月丁酉、宮へ還った。
賈復の死
- この年、膠東剛侯賈復が死去した。
- 賈復は征戦に従って敗れることがほとんどなく、しばしば諸将の危急を救い、十二か所の創傷を負った。
- 帝はその猛勇を高く買っていたが、危険な戦場に遠征させることはあまりせず、しばしば自らの近くに置いた。そのため方面での独立した功績は比較的少なかった。
- それでも諸将が論功するたび、帝は「賈君の功は自分がよく知っている」と言って、その価値を認めていた。