劉秀一族の系譜と挙兵前夜
- 長沙定王発の子孫である舂陵節侯買の系統は、南方を去って南陽白水郷に移り住み、そこで宗族を成した。
- その後裔の欽は湖陽の樊重の娘を妻とし、劉縯・劉仲・劉秀の三兄弟をもうけた。縯は剛毅で大志があり、王莽の簒奪以来、漢を再興しようとの思いを抱き、家業には心を向けず、財産を傾けて豪傑と交わった。
- 劉秀は顔に帝王の相があり、勤勉に農事を営んだので、縯は彼をしばしば笑って「高祖に対する兄の仲のようだ」と言った。
- 劉秀の姉・元は新野の鄧晨に嫁いでいた。かつて劉秀が鄧晨とともに穰の蔡少公を訪れたとき、蔡少公は図讖を学んでおり、「劉秀が天子になる」と言った。誰かが国師公の劉秀のことかと問うと、劉秀は戯れて「どうして私ではないとわかるのか」と返し、座中は皆笑ったが、鄧晨だけは心中で喜んだ。
- 宛の李守も星歴と讖記を好み、李通に「劉氏が興り、李氏がこれを助ける」と語っていた。
- 新市・平林兵が起こって南陽が騒然となると、李通の従弟・李軼は、南陽宗室のうち劉伯升兄弟こそ広く人を容れ大事を謀れると説いた。
立秋都試の日の計画
- 李通は劉秀を迎えて図讖の話を詳しく伝え、計画を固めた。立秋に材官と騎士の都試が行われる日に、前隊大夫の甄阜と属正の梁丘賜を劫略し、その号令で大衆を動かそうとした。
- 劉秀は李軼とともに舂陵へ帰り、挙兵の準備を進めた。
- 劉縯は諸豪傑を集め、「王莽は暴虐で百姓は離散している。旱魃が続き兵乱も起き、今こそ天が彼を亡ぼす時であり、高祖の業を復し万世を定める秋だ」と説いた。皆これに同意した。
- 親しい客を諸県に遣わして兵を起こし、劉縯自身は舂陵の子弟を募った。人々は最初「伯升に殺される」と恐れて逃げ隠れしたが、劉秀までが絳衣大冠で現れたので、「あの慎み深い者まで加わるなら」と安心し、次第に集まった。
- こうして七、八千人を得、賓客を部署して自ら柱天都部と号した。劉秀は当時二十八歳であった。
李通一族の被害と諸軍の合流
- しかし李通側は発覚し、李通は逃亡したものの、その父の李守ら家属六十四人が連座で死んだ。
- 劉縯は族人の劉嘉を遣わして新市・平林兵に説かせ、王鳳・陳牧らとともに西へ進んで長聚を攻め、唐子郷を屠り、湖陽尉を殺した。
- 戦利の分配が不均等だったため衆は怒り、劉氏を攻め返そうとしたが、劉秀は宗族の取り分をすべて差し出して彼らをなだめた。
- その後、棘陽を抜き、李軼・鄧晨も賓客を率いて合流した。
下江兵の再起と上唐の勝利
- 一方、厳尤・陳茂は下江兵の成丹・王常・張卬らを破り、散兵は蔞谿へ入って鍾・龍のあたりを略取したが、再び勢いを盛り返した。
- 彼らは荊州牧と上唐で戦って大勝した。
十一月から十二月 小長安聚の敗北と連合成立
- 十一月、張宿に彗星が現れた。
- 劉縯は宛を攻めようとして小長安聚に至り、甄阜・梁丘賜と戦った。濃霧のなか漢軍は大敗した。
- 劉秀は単騎で逃れ、途中で妹の伯姫を見つけて同乗させ、さらに先で姉の元にも遭ったが、彼女は「早く行け、二人とも死んではならない」と手を振って別れた。追兵が迫り、元と三人の娘は殺された。
- 劉縯の弟の仲や、宗族・従者の数十人も戦死した。
- 劉縯は兵を再収集して棘陽に拠った。甄阜・梁丘賜は勝ちに乗じ、輜重を藍郷に残して精兵十万を率い、潢淳を渡り、沘水に臨み、二川の間に営を置いて後橋を断ち、退路を絶って決戦の構えを見せた。
- 新市・平林の諸軍は、これまで劉氏軍がたびたび敗れ、さらに甄阜らの大軍が来たのを見て、離散したい気持ちを持ち始めた。劉縯は深く憂えた。
宜秋での会見と下江兵の説得
- ちょうどその時、下江兵五十余人が宜秋に来たので、劉縯は劉秀・李通とともにその陣を訪れ、「下江の賢将と会って大事を議したい」と申し出た。衆は王常を推した。
- 劉縯が合従の利益を説くと、王常は大いに悟り、「王莽は残虐で、百姓は漢を思っている。今劉氏が復興した以上、これこそ真主だ。身を出して助け、大功を成したい」と述べた。
- 劉縯は、事が成れば功を独り占めにはしないと応じ、王常と固く結んで帰った。
- 王常は戻って成丹・張卬らに説明したが、二人は兵力を頼み「大丈夫たるもの起てば各自が主となるべきだ。なぜ人の制を受けるのか」と反発した。
- それでも王常は諸将を少しずつ説得した。民が怨む者は天が捨て、民が思う者は天が与えること、天下を取るには民心と天意に従わねばならず、強さにまかせて欲のままに動けば、たとえ天下を得ても必ず失うこと、秦や項氏ですら滅んだのだから、草沢の布衣が勝手をすればなおさらだと論じた。
- さらに、南陽の諸劉には深い計略と王公の才があり、これと力を合わせれば必ず大功が成る、これは天が自分たちを助けるゆえだと説いた。
- 下江の諸将は粗野ではあったが平素から王常を敬っていたので、「王将軍がいなければ、我らは不義に陥るところだった」と謝し、ついに漢軍・新市兵・平林兵・下江兵は連合した。
年末 藍郷襲撃
- 諸部が心を一つにすると、士気はいっそう盛んになった。劉縯は軍士を大いにもてなし、盟約を立て、三日休養させて六部に分けた。
- 十二月晦日、密かに夜襲をかけて藍郷を奪い、甄阜らの輜重をすべて獲得した。