資治通鑑漢紀二十三 孝成皇帝 鴻嘉 三年 前18年
旱魃と王氏五侯の奢侈
- 夏四月、天下に大赦があった。
- この年は大旱となった。
- 王氏の五侯は互いに奢侈を競い、成都侯王商は暑気払いのために明光宮を借り受けたうえ、長安城を穿って灃水を引き入れ、自邸に大きな池を作って舟を浮かべ、羽蓋や周囲を覆う帷、楫棹や越歌まで整えて遊興した。
成帝の不快と外戚への警告
- 成帝は王商の邸宅に幸して、城を穿って水を引いたことを見て内心恨んだが、その場では口にしなかった。
- のちに微行で曲陽侯の邸を通りかかると、園中に土山や漸台を築き、白虎殿を模した建物まであるのを見て怒り、車騎将軍王音を責めた。
- 王商・王立・王根ら兄弟は、自ら黥や劓の刑を受けて太后に謝ろうとしたが、帝はかえって大いに怒り、尚書に命じて、司隷校尉と京兆尹を詰問させた。成都侯らの奢僭や不軌、奸猾の隠匿を知りながら阿附放任して奏上しなかったというのである。二人は禁門の下で叩頭して謝罪した。
- 王音には策書が下され、外家がどうして禍敗を楽しむようなことをするのか、黥劓などで太后の心を傷つけ国家を危うくしてはならない、と強く戒められた。
- その日、文帝が薄昭を誅した故事を尚書に奏上させ、王音は藁の上に坐して罪を請い、王商・王立・王根らも斧質を負って長く謝した。もっとも、成帝は実際に誅殺する意図はなく、威嚇するのが目的だった。
後宮の変動
- 秋八月、孝景廟の北闕が焼けた。
- もともと許皇后と班婕妤はともに寵愛を受けていた。成帝が後庭で班婕妤と同じ輦に乗ろうとした際、班婕妤は、賢聖の君には名臣が側におり、末世の君に嬖妾があるのであって、同輦はそれに似てしまうのではないかと辞退した。成帝はその言葉を嘉し、太后も「古には樊姫、今には班婕妤」と喜んだ。
- 班婕妤は侍者李平を推薦し、彼女も寵愛されて衛婕妤となった。
趙飛燕姉妹の得寵
- その後、成帝は微行で陽阿公主の家に赴き、歌舞に優れた趙飛燕を気に入り宮中に召し入れた。さらにその妹も召され、こちらは容姿も気質もいっそう艶やかで、左右の者が皆感嘆するほどであった。
- 宣帝時代の披香博士淖方城は、彼女を見て「これは禍水であり、国を滅ぼす」と吐き捨てた。
- 姉妹はともに婕妤となり、後宮に威勢を振るったため、許皇后と班婕妤はいずれも寵を失った。
許皇后の廃位
- 趙飛燕は、許皇后と班婕妤が媚道、すなわち呪詛によって後宮に災いを及ぼし、さらには皇帝まで呪っていると讒言した。
- 冬十一月、許皇后は廃され、昭台宮に幽閉された。皇后の姉の謁らは誅され、親族も故郡へ帰された。
- 班婕妤も取り調べを受けたが、彼女は、死生や富貴は天命であり、邪道を用いても何を望めようか、鬼神に知があれば不臣の訴えを受けず、知がなければ呪詛に意味はない、と答えた。成帝はこれを善しとして赦し、黄金百斤を賜った。
- 趙氏姉妹の驕妬に長くさらされることを恐れた班婕妤は、長信宮で太后に仕えることを願い、成帝はこれを許した。
広漢の反乱
- この年、広漢の鄭躬ら六十余人が官寺を襲い、囚徒を奪い出し、兵器庫の武器を盗み、「山君」と称して反乱を起こした。