資治通鑑漢紀二十二 孝成皇帝 建始 三年 前30年
春三月 大赦
- 春三月、天下の徒刑囚を赦した。
秋 長雨と長安の流言
- 秋、関中で四十日あまり大雨が続き、都では「大水が来る」という流言が広がった。
- 百姓は逃げ惑って踏み合いとなり、老弱は叫び、長安は大混乱に陥った。
- 帝は前殿に出て公卿と対策を議した。王鳳は、太后・帝・後宮は船に乗せ、官民は長安城に上げて避難させるべきだと主張した。
- これに対し左将軍王商は、今の政治は平和で兵革もなく、大水が一日で都を襲うはずはない、これは流言にすぎないとして反対した。
- 帝は王商の言を採用し、やがて都は落ち着いた。調べると実際に流言であったため、帝は王商の判断力を高く評価した。
- 王鳳は大いに恥じ、自らの失言を悔いた。
秋八月以後 将軍・御史大夫の交代
- 帝は本来、王鳳に政務を専任させたい意向であった。
- 八月、車騎将軍許嘉を策免し、特進・列侯として朝位に退かせた。
- 張譚は人事選挙の不実を理由に免官された。
- 冬十月、光禄大夫尹忠が御史大夫となった。
冬十二月 日食・地震と後宮批判
- 十二月戊申朔、日食が起こり、その夜には未央宮で地震があった。
- 帝は賢良方正・直言極諫の士を求めた。
- 杜欽と太常丞谷永は、いずれも後宮での女寵が過ぎ、嫉妬と専寵が継嗣を害しようとしていることが災異の原因だと答えた。
- また、越巂では山崩れが起こった。
匡衡失脚
- 丁丑、匡衡は封邑を四百頃多く取ったこと、ならびに自分の所管地に関する不正で規定額以上の利を得たことにより、庶人に落とされた。