資治通鑑漢紀二十二 孝成皇帝 河平 元年 前28年

春 黄河修復と改元

  • 河の決壊が修復されて「しばらく平らかになった」ことにより、河平と改元した。
  • 杜欽は犍為の王延世を王鳳に推薦し、決河の修築に当たらせた。
  • 王延世は、竹で編んだ大きな籠に小石を詰め、二船ではさんで流し込む工法を用い、三十六日で河堤を完成させた。
  • 三月、帝は王延世を光禄大夫・関内侯とし、黄金百斤を賜った。

夏四月 日食と継嗣問題

  • 夏四月己亥晦、日食があった。帝は公卿百僚に過失を率直に述べさせ、大赦を行った。
  • 劉向は、今回の日食は過去に孝恵帝・孝昭帝の時と符合し、いずれも早く崩じて継嗣を欠いたことから、今回は継嗣に害が及ぶ兆しだと論じた。
  • 当時、許皇后が専寵を受け、後宮の他の婦人はほとんど帝に近づけなかったため、内外ともに後継問題を憂えていた。
  • 杜欽・谷永・劉向らの意見を受け、帝は椒房・掖庭の費用、服御・車駕、官署の造作、外家・群臣・妾への賜与を、竟寧以前の水準へと切り下げた。

皇后の反論と帝の再答

  • 許皇后は上書して、時代ごとに制度は異なり、長短を補えばよいのであって、竟寧以前と一律に同じにする必要はないと主張した。
  • さらに、役人が「故事にない」と言って後宮の小さな所望まで退け、詔書を盾に皇后を縛ろうとしていると不満を述べた。
  • また、自家の祖先祭祀についても、従来のように恩例を続けてほしいと求めた。
  • 帝はこれに対し、災異は後宮に根があると考えると答え、奢侈を正すことは皇后の徳を助けるものであり、根本を除かなければ祖宗さえ血食を失いかねないと諭した。
  • そして、皇后には謙約を旨とし、後宮の模範となるよう求めた。

秋九月 太上皇廟の復活と刑法簡省の詔

  • 給事中平当は、太上皇は漢の始祖であり、その寝廟・園陵を廃したのは不当だと述べた。帝も継嗣の不安を抱えていたこともあり、この意見を採用した。
  • 秋九月、太上皇の寝廟と園を復した。
  • あわせて帝は、死刑の条文や律令があまりに煩雑で、奇請や類推が増え、民を無辜のまま刑罰に絡め取っているとして、死刑の削減と法令の簡約を検討させた。
  • しかし有司は帝の本意を広く実現できず、細かな案件を並べて応じるにとどまった。

匈奴使節伊邪莫演の来朝

  • 匈奴単于は右皋林王伊邪莫演らを遣わして、正月朝賀の献上を行わせた。