資治通鑑漢紀二十二 孝成皇帝 陽朔 二年 前23年
春三月・夏四月 大赦と王音の昇進
- 春三月、大赦が行われた。
- 御史大夫張忠が卒した。
- 夏四月丁卯、侍中・太僕の王音が御史大夫に任じられた。
王氏一門の繁盛
- これによって王氏の権勢はいよいよ盛んになり、郡国の守相や刺史の多くがその門下から出るようになった。
- 五侯とその兄弟たちは互いに奢侈を競い、四方から賂遺や珍宝が集まった。
- しかも彼らはみな人付き合いに敏く、士を好み、賢者を養い、財を傾けて施しをなし、名声を競っていたため、賓客が門に満ち、世評も高まった。
劉向の最終的な諫言
- 劉向は陳湯に対し、災異がこれほど重なるのに外戚の勢いが増し続けている以上、その果てには必ず劉氏に危機が及ぶと語った。
- 自分は同姓の末流ながら累代漢恩を受け、三代に仕えた旧臣として語らねばならないと決意し、封事を上げた。
- その内容は、王氏一族が朱輪華轂に乗る者だけで二十三人、青紫・貂蝉が禁中にあふれ、大将軍が政を執り、五侯が威福をほしいままにし、尚書・九卿・州牧・郡守までその門から出て、宗室の有能者を排斥しているという痛烈なものであった。
- 劉向は、彼らが呂氏・霍氏の名を避けて口にしないのは、自らの専権を連想させまいとするためにすぎず、実際には内に管蔡の萌しを抱き、外では周公の名を借りていると断じた。
- さらに、済南の王氏祖墓で梓の柱から枝葉が出て屋根を突き、根が地に垂れた異変を引き、これほど明らかな兆しはないとした。
- そして、宗室を親しみ外戚を遠ざけ、王氏をみな第宅に退かせるべきだと進言し、さもなくば田氏が斉を奪い、六卿が晋を裂いたような禍が漢にも起こると警告した。
- 帝は劉向を召してその忠誠をねぎらい、嘆息しつつ考えると言ったが、結局その提言を用いることはなかった。
秋 大水と定陶共王の死
- 秋、関東で大水があった。
- 八月甲申、定陶共王康が薨去した。
藩王の異動