資治通鑑漢紀二十一 孝元皇帝下 永光 五年 前39年

行幸と災害

  • 春正月、甘泉に行幸して泰畤に郊祀した。
  • 三月、河東に行幸して后土を祀った。
  • 秋、潁川で洪水が起こり、多くの人命被害が出た。
  • 冬、長楊宮の射熊館で大規模な狩猟を行った。

宗廟のさらなる廃止

  • 十二月、太上皇と孝恵皇帝の寝廟園を取り壊した。これは韋玄成らの議論を採用したもので、親尽の原則による措置であった。

匡衡の諫言

  • 元帝は儒術と文章を好み、宣帝の旧政をかなり改めた。上奏する者も、自分の意見が採られると思って盛んに出仕するようになった。
  • また傅昭儀とその子の済陽王康が、皇后・太子をしのぐほど寵愛を受けた。
  • 太子少傅の匡衡は上疏し、先帝の制度と功業を軽々しく変えるべきでないこと、君主は自らの長短を見極めて節度を守るべきことを論じた。
  • さらに、国家安定の根本は家の秩序にあり、妃后・嫡庶・長幼の分を厳正にして、私恩で公義を害してはならないと強く戒めた。

黄河の変動

  • かつて宣房を塞いだ後、黄河は再び館陶で北に決壊し、屯氏河となって東北から海へ注いでいた。
  • この年、黄河が清河の霊鳴犢口で決壊し、その結果、屯氏河は絶えた。