資治通鑑漢紀二十一 孝元皇帝下 建昭 二年 前37年
行幸・立王
- 春正月、甘泉に行幸して泰畤に郊祀した。
- 三月、河東に行幸して后土を祀った。
- 夏四月、天下に大赦を行った。
- 六月、皇子の劉興を信都王に立てた。
京房の登場
- 東郡の京房は、梁の焦延寿に易を学んだ人物で、災異占候に長けていた。
- 六十卦を日々に配して風雨寒温を観察し、吉凶を占う術に精通していた。
- 孝廉から郎となり、たびたび災異を論じてよく当てたので、皇帝は悦んでしばしば召見した。
考課法の提案と官僚の反発
- 京房は、賢者を功績で用いれば瑞応が現れ、末世のように毀誉で人を取れば災異が起こると説いた。
- そのうえで、百官に功績を競わせる考功課吏法を作って提出した。
- 皇帝は公卿・朝臣に温室でこれを議論させたが、多くは煩雑すぎ、上下が互いに監視し合う制度で実行困難だと反対した。
- ただし御史大夫鄭弘と光禄大夫周堪は、初め反対しながら後に賛意を示した。
- 皇帝は州部刺史にも制度説明をさせたが、やはり実行は難しいとされた。
石顕批判
- このころ石顕が専権を振るい、その友人の五鹿充宗も尚書令として権勢を持っていた。
- 京房はある宴見の席で、幽王・厲王のような危亡の君は、巧佞を賢者と思い込むから国を乱すのだと説き、当代の政治もまた乱れていると直言した。
- 皇帝が「今乱している者は誰か」と問うと、京房は「帷幄で謀をめぐらし、人事の進退を決めている最も信任の厚い人物」と述べ、石顕を指した。
- 皇帝も意味は理解したが、結局石顕を退けることはできなかった。
- 司馬光はここで、君主に明徳がなければ忠臣の言も入らないとして、京房の諫言が届かなかったことを惜しんでいる。
京房の外任
- 皇帝は、京房の門人のうち考課法に通じた者を試用しようとした。
- 京房自身は殿中に籍を置いて上奏し、壅塞を防ぎたいと望んだが、石顕や五鹿充宗は京房を嫌って遠ざけようとした。
- そのため、京房は魏郡太守に任じられ、考課法を郡政で試すことになった。
- 京房は年末に伝車で入朝して奏事することを願い出て、皇帝はこれを許した。
- しかし京房は、自分が大臣たちに嫌われ石顕らとも対立しているため、都から離れたくないと考えていた。
卦占による警告
- 京房は封事を上げ、ある日には「蒙気」が起こり、太陽が侵される象が見えるので、近く誰かが自分の伝車による奏事を妨げるだろうと予告した。
- 実際、皇帝は陽平侯王鳳に命じて、京房に伝車での奏事を中止させた。
- 京房は恐れて、出発後もたびたび封事を送り、災異は用事を執る者が君主を蔽うしるしであり、自分を遠ざけるのは天意に逆らうことだと訴えた。
- また弟子の姚平とのやり取りを挙げ、自分は死を恐れず言うが、このままでは正先のように無益に殺されると警告した。
- さらに陝に至っても、もとは自分を内廷に置くはずだったのに、議者の害意で太守に追いやられたのだと重ねて訴えた。
京房・張博事件
- 淮陽憲王の外戚張博は、奸巧で品行が悪く、王に頼って金銭を求め、王を入朝させようとしていた。
- 張博は京房に学び、その娘を京房に嫁がせていた。
- 京房が朝廷でのやり取りを張博に話すと、張博はそれを記録して、淮陽王のために入朝請願の奏草を京房に作らせ、王に東方での信任材料として送っていた。
- 石顕はこれを察知し、京房が張博と結んで政事を誹謗し、天子に悪名を帰し、諸侯王を惑わせたとして告発した。
- 京房も張博も下獄され、ついに棄市となり、妻子は辺境へ流された。
- 鄭弘も京房と親しかったことで連座し、庶人とされた。
石顕の権勢拡大
- 御史中丞陳咸はしばしば石顕を批判していたが、槐里令朱雲と親しく、禁中の話を漏らしたとして石顕に陥れられた。
- 朱雲とともに下獄され、髠刑のうえ城旦とされた。
- 石顕の威権は日増しに強まり、公卿以下は恐れて身動きも慎むほどだった。
- 石顕は中書僕射牢梁、少府五鹿充宗と徒党を組み、取り巻きはみな栄達した。
- 民間では、牢梁・石顕・五鹿充宗をあざける歌が流行した。
- 石顕は一方で、夜に宮門を開けさせる件をわざと先に上奏し、のちに矯詔を訴える上書が出ても、かえって「嫉妬から陥れられている」と泣いて訴え、皇帝の同情と信任を得た。
- その賞賜や賄賂の総額は莫大なものに達した。
- さらにかつて蕭望之を死に追いやったとの非難を和らげるため、貢禹を引き立てて「石顕は嫉妬深い人物ではない」と見せかけてもいた。
- 荀悦は、佞臣は用いないだけでなく遠ざけて根を絶つべきであり、すべての任用・賞罰は真実を確かめて行うべきだと論じている。
年末の人事と災異
- 八月癸亥、光禄勲匡衡を御史大夫にした。これは鄭弘が京房事件で免官された後任である。
- 閏月丁酉、太皇太后上官氏が崩じた。昭帝の皇后であった。
- 冬十一月、斉・楚の大きな地域で地震があり、大雪で木が折れ、家屋が倒壊した。