資治通鑑漢紀十五 孝昭皇帝上 始元 二年 前85年

正月:霍光の封侯と政権運営の見直し

  • 正月、大将軍霍光が博陸侯に、左将軍上官桀が安陽侯に封じられた。
  • ある者が霍光に、伊尹・周公のような摂政の地位にあっても、宗室を遠ざけて権力を独占すれば、かえって諸吕のように天下の信を失い滅ぶと説いた。
  • 霍光はこの意見を受け入れ、楚元王の孫の劉辟彊、宗室の劉長楽らを登用し、光禄大夫に任じた。劉辟彊には長楽衛尉を兼ねさせた。

三月:貧民救済

  • 三月、使者を派遣して貧民を救済し、種籾や食糧を持たない者に貸与した。

秋:租税の免除

  • 八月、前年以来の災害に加え、この年も蚕や麦に被害が出たため、貸し与えた種籾・食糧の返済を求めず、今年の田租も取り立てないとする詔が出された。

匈奴政変の前兆

  • 武帝時代の長年にわたる対匈奴遠征で、匈奴は馬や家畜が疲弊し、妊娠中の家畜が流産するほど苦しんでいた。和親を望む気持ちはあったが、実現には至っていなかった。
  • 狐鹿孤単于の異母弟である左大都尉は有能で人望も高かったため、その母の閼氏は単于が彼を後継に立てることを恐れ、ひそかに人を使って殺した。
  • 左大都尉の同母兄は恨みを抱き、単于庭に出仕しなくなった。
  • この年、単于は病に倒れ、幼子では国を治められないとして、弟の右谷蠡王を後継に立てるよう貴人たちに告げた。
  • しかし単于の死後、衛律らは正室の顓渠閼氏と結んでその死を隠し、偽りの遺命を出して、単于の子の左谷蠡王を壺衍鞮単于として擁立した。
  • 左賢王と右谷蠡王はこれに不満を抱き、部衆を率いて南の漢に帰順しようとしたが、自力では難しいと考え、西方の烏孫へ降ろうとして盧屠王を巻き込もうとした。
  • 盧屠王がこれを単于に告発すると、単于側は右谷蠡王を問い詰めたが、右谷蠡王は認めず、逆に盧屠王を罪に陥れたため、国内ではこれを不当と見る者が多かった。
  • こうして二王は単于庭・龍城の会に出ず、それぞれの地にとどまるようになり、匈奴の衰えが始まった。

冬:異常気象

  • この冬は氷が張らなかった。