資治通鑑漢紀十五 孝昭皇帝上 始元 五年 前82年

正月:帝の外祖家への追尊

  • 正月、帝の外祖父である趙父が追って順成侯に封じられた。
  • 順成侯の姉の君姁には銭二百万、奴婢、邸宅が与えられ、親族たちも親疎に応じて賞賜を受けた。

「衛太子」を名乗る者の出現

  • 一人の男が黄犢車に乗って未央宮北闕に現れ、自分は衛太子だと称したため、公車が朝廷へ報告した。
  • 天子は公卿・将軍・中二千石に見分けさせたが、長安の官民数万人が集まり、右将軍は非常に備えて宮門下に兵を配し、誰も軽々しく判断できなかった。
  • 京兆尹の雋不疑が遅れて到着すると、従吏に命じてその男を縛り上げた。
  • 周囲が真偽はまだわからないから穏便に扱うべきだと言うと、雋不疑は、かつて衛の蒯聵が国を追われた時、その子の輒がこれを受け入れなかったのを『春秋』が是認していることを引き、衛太子は先帝に罪を得て逃亡した以上、今さら現れたからといって正当な継承者ではないと論じた。
  • そのまま詔獄に送らせ、のちの調査で、これは夏陽の人で成方遂という卜筮師が姿が似ていると言われたのを利用して成りすましたものと判明し、誣罔不道の罪で腰斬となった。
  • 霍光と天子は雋不疑を高く評価し、大臣には経術を備え大義に明るい者を用いるべきだと語った。

夏:上官安の封侯

  • 六月、上官安が桑楽侯に封じられた。
  • しかし上官安は日ごとに驕慢・淫逸となり、宮中で賓客に向かって「自分の婿と飲んで大いに楽しもう」などと放言し、わがままな振る舞いを重ねた。子が病死すると天を仰いで罵るなど、その不遜ぶりは甚だしかった。

郡の廃止

  • 儋耳郡・真番郡が廃止された。

秋:西南夷平定

  • 大鴻臚の田広明、軍正の王平が益州の反乱を討ち、三万人余りを斬首・捕虜とし、家畜五万頭余りを得た。

杜延年の進言

  • 諫大夫の杜延年は、国家が武帝の奢侈と度重なる出兵の後遺症を引きずり、近年は不作が続き、流民もなお帰りきっていないと見ていた。
  • そのため霍光に対し、文帝時代のような倹約・寛和の政治に立ち返り、天意と民心にかなう政を行うべきだとたびたび説いた。
  • 霍光はその意見を受け入れた。杜延年は故御史大夫杜周の子である。