資治通鑑漢紀十三 世宗孝武皇帝 元封 四年 前107年
冬十月 北辺巡幸
- 武帝は雍に行幸して五畤を祀り、回中道を通して蕭関から北へ出た。
- 独鹿・鳴沢を歴て代方面に至り、そこから引き返して河東へ赴いた。
春三月 后土祠と大旱
- 春三月、河東で后土を祀り、汾陰・夏陽・中都の死罪以下を赦免した。
- その後、大旱が起きた。
匈奴との和親交渉の頓挫
- 衛青・霍去病の北征以後、匈奴はしばらく大規模な侵入を控え、遠く北へ移って兵馬を休養させ、しばしば使者を漢に送って和親を求めた。
- 漢使の王烏は匈奴の風俗に従って穹廬に入り込み、単于に気に入られ、甘言を引き出した。単于は太子を人質に出すともほのめかした。
- だが後に派遣された楊信が匈奴の礼俗に従わなかったため、単于は反発し、太子を質とする要求は国を弱めるものだとして拒否した。
- なお王烏を通じて「自ら漢に入って天子と兄弟の盟を結びたい」とも言わせたので、漢は長安に匈奴の邸宅まで築いた。
- しかし匈奴はさらに「漢の高位の使者でなければ本心は語らぬ」と言い、その貴人が漢に来て病死すると、漢が毒殺したと疑い、路充国を抑留した。結局、これまでの発言は王烏を欺いて漢の財物を引き出すためにすぎなかった。
- その後、匈奴はしばしば奇兵を出して辺境を犯したため、武帝は郭昌を抜胡将軍に、趙破奴を浞野侯として朔方以東に駐屯させ、防備を強化した。