資治通鑑漢紀十三 世宗孝武皇帝 元封 六年 前105年

冬・春 回中・首山宮・后土祠

  • 冬、武帝は回中に行幸した。
  • 春には首山宮を造営し、三月には河東へ赴いて后土を祀り、汾陰の殊死以下を赦した。

西南夷の昆明を討つ

  • 漢は西南夷を開いて五郡を置いた後、そこから大夏へ通じる道を開こうとして毎年多くの使者を派遣した。
  • しかし昆明が通行を遮って使者や財物を奪ったため、武帝は京師の亡命者を赦して従軍させ、郭昌に軍を率いさせてこれを討たせた。
  • 多数を斬ったものの、最終的に大夏への交通路はなお開通しなかった。

秋 旱魃・蝗害と烏孫公主

  • 秋、大旱と蝗害が起こった。
  • 一方、烏孫の使者は漢の広大さを見て帰国後に報告し、烏孫国内で漢への評価が高まった。匈奴がこれを警戒し、さらに大宛・月氏など周辺国も漢に通じていたため、烏孫は漢との結びつきを強めようとした。
  • 烏孫は使者を送り、漢の公主を娶って兄弟国となりたいと願い出た。漢はこれを許し、江都王建の娘・細君を公主として烏孫に嫁がせた。
  • 昆莫は細君公主を右夫人とし、匈奴の公主を左夫人とした。しかし昆莫は老齢で言葉も通じず、細君は孤独と郷愁に苦しんだため、武帝は隔年で使者を遣わし、帳幕や錦繍を贈った。
  • のちに昆莫は孫の岑娶に公主を娶らせたいと望み、公主が訴えると、武帝は「その国の風俗に従え。胡を共に滅ぼすためだ」と答え、細君は岑娶にも嫁いだ。昆莫が死ぬと、岑娶が後を継いで昆彌となった。

西方諸国の来朝

  • このころ漢使は葱嶺を越えて安息に至り、安息は大鳥の卵や黎軒の幻術師を献上した。
  • また驩潛・大益・車師・扜罙・蘇䪥など多くの小国も漢使に従って来朝した。
  • 武帝は巡狩のたびに彼らを随行させ、倉庫や財宝を見せ、大角抵や奇観を観覧させて、漢の富強を誇示した。
  • 大宛には葡萄や苜蓿が多く、天馬がこれを好んだので、漢使はその種子を持ち帰り、離宮や別観のそばに植えた。
  • ただし西域諸国は匈奴に近く、依然として匈奴使節を漢使以上に恐れて遇していた。

匈奴 児単于の即位

  • この年、匈奴の烏維単于が死に、その子の烏師廬が立って児単于と号した。
  • 以後、単于庭はさらに西北へ移り、左方の兵は雲中、右方の兵は酒泉・敦煌方面に当たるようになった。