資治通鑑漢紀十二 世宗孝武皇帝 元狩 五年 前118年

春三月 李蔡の失脚と貨幣改革

  • 丞相の李蔡は、孝景帝の陵園に属する土地を不正に墓地へ取り込んだ罪に問われ、取り調べを待たずに自殺した。
  • この年、三銖銭を廃して五銖銭が新たに鋳造された。だが民間の私鋳は多く、とくに楚の地域で深刻だった。

汲黯、淮陽太守に任じられる

  • 武帝は、淮陽が楚地に接していて統治が難しいとして、かつて退けられていた汲黯を召し出して淮陽太守に任じた。
  • 汲黯は病弱を理由に辞退し、宮中で諫言役に就きたいと涙ながらに願ったが、武帝は「淮陽の役人と民衆を落ち着かせるには、君の威望が必要だ」として押し切った。
  • 出発に際し、汲黯は大行の李息に対し、御史大夫の張湯は知恵で諫言を封じ、詭弁で過失を飾り、君主の好悪に迎合して天下のために正論を述べない人物だと厳しく批判し、李息もいずれ連座しかねないと警告した。
  • 李息は張湯を恐れて口をつぐみ、のちに張湯が失脚した時、武帝からその責任を問われた。
  • 汲黯は諸侯王の相に準じる高い待遇で淮陽に赴任し、十年後にその地で没した。

夏四月 荘青翟が丞相に

  • 太子少傅の武彊侯・荘青翟が丞相に任命された。

武帝の病と神君信仰

  • 武帝は鼎湖で重い病にかかり、巫医を集めてもよくならなかった。
  • そこで、上郡に鬼神を憑依させる巫者がいるとの報を受け、游水発根という人物を甘泉に呼び寄せて祭らせた。
  • 神は「天子の病は心配ない。やや快方に向かえば甘泉で会おう」と告げ、武帝は快癒すると甘泉へ行幸し、寿宮で酒宴を開いた。
  • 神君の言葉は書き留められて「画法」と名づけられたが、その内容は世俗と大差ないものだった。それでも武帝は深く心を寄せ、内容は秘されて外部には知らされなかった。

義縦への不満

  • 武帝が急に甘泉へ向かった際、右内史の管内で道路整備が不十分だったため激怒した。
  • 義縦が「もう自分はこの道を通らない」と高をくくったのだと受け取り、武帝はこれを遺恨として覚えた。

姦猾な吏民の辺境移住

  • 詔によって、狡猾で問題の多い役人や民衆が辺境へ移住させられた。