資治通鑑漢紀十二 世宗孝武皇帝 元狩 六年 前117年

冬十月 異常気象

  • 雨が降ったのに氷が張らないという、季節外れの気象が起きた。

緡銭告発と義縦の失脚

  • 武帝は以前に出した財産申告令を推し進め、卜式を重んじても、民衆は財産を分けて官に協力しようとはしなかった。
  • そこで楊可に緡銭隠しの告発を大々的に行わせたが、義縦はこれを民を乱すものと見て、楊可の手先となる者たちを捕らえた。
  • 武帝はこれを詔令を妨げた行為とみなし、義縦を処刑した。

李敢の死

  • 郎中令の李敢は、父李広が大将軍衛青への不満を抱いて死んだことを恨み、衛青を襲って傷を負わせた。
  • 衛青はこの件を隠したが、その後、李敢が武帝に従って甘泉宮で狩猟していた時、票騎将軍霍去病が射殺した。
  • 霍去病が寵愛されていたため、朝廷は「鹿がぶつかって死んだ」として事実を隠した。

夏四月 諸皇子の封建

  • 皇子の劉閎を斉王、劉旦を燕王、劉胥を広陵王に封じた。
  • これが廟中で策書を読み上げて皇子を封じる制度の始まりとなった。

私鋳横行と巡察使派遣

  • 白金や五銖銭の導入後も私鋳は収まらず、死刑になった者だけでも数十万人に達し、発覚しない者は数え切れなかった。
  • ほぼ天下の人々が私鋳に関与したかのような状態で、取り締まりも追いつかなかった。
  • 六月、博士の褚大・徐偃ら六人が郡国へ分遣され、兼并を行う者や、罪ある守相・官吏の摘発にあたった。

秋九月 霍去病の死

  • 冠軍侯霍去病が死去し、武帝は深く悼んで、その墓を祁連山に似せて築かせた。
  • 霍去病はかつて河東で実父霍仲孺を認め、大きな財産を与えて遇していた。
  • また異母弟の霍光を長安へ連れて来て郎とし、やがて奉車都尉・光禄大夫へ取り立てた。

顔異の誅殺と「腹誹」の法

  • 大農令の顔異が処刑された。
  • 顔異は廉潔で九卿にまで昇ったが、白鹿皮幣について武帝に問われた際、璧より高価な皮幣は本末が逆転していると率直に述べ、武帝の不興を買った。
  • さらに張湯とも不仲であったため、別件で取り調べにかけられた際、「新令に不便がある」と客が話した時に顔異が口には出さず唇を動かしたことを、張湯が「腹の中でそしった」として告発した。
  • こうして「腹誹」の罪で死刑となり、以後、公卿大夫は本音を隠して迎合する風が強まった。