資治通鑑漢紀六 太宗孝文皇帝 前 五年 前175年
地震
貨幣制度の変更と私鋳許可
- 秦は半両銭を用いていたが、高祖は重すぎるとして莢銭に改めた。ところが物価が急騰し、米一石が一万銭にも達した。
- 夏四月、文帝は新たに四銖銭を鋳造させ、さらに盗鋳を禁じる旧令を除き、民間にも自鋳を許した。
賈誼・賈山、銭制を諫める
- 賈誼は、自鋳を許せば民は銅・錫に鉛鉄を混ぜて利益を取るようになり、禁じても利益が大きすぎて止まらないと論じた。
- その結果、罪人が増え、役人も疑わしい者を乱暴に取り調べ、法が民を陥れる形になると警告した。
- また郡県ごとに軽重の異なる銭が流通し、法定貨幣の統一が崩れ、農民は耕作を捨てて銅採掘や鋳造に走り、穀物生産も減ると述べた。
- 賈山も、貨幣は本来たいした器物ではないが、それによって富貴が動く以上、これを民に造らせるのは君主の権柄を民と分かつことになり、長く続けるべきでないと諫めた。
- 文帝はいずれの意見も用いなかった。
鄧通・呉王濞の富強
- このころ、太中大夫の鄧通が寵愛を受け、文帝は蜀郡厳道の銅山を与えて自由に鋳銭させた。
- 呉王劉濞も豫章の銅山を持ち、各地の亡命者を集めて銭を鋳させ、さらに海水を煮て塩を作ったため、租税を納めずとも国用は豊かであった。これは後の叛乱の土台となった。
代・太原の封国再編
- 以前、代を二国に分けて、皇子劉武を代王、劉参を太原王としていたが、この年、劉武を淮陽王に移し、劉参を代王にして、旧代国の地をすべて与えた。