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資治通鑑
漢紀五 高皇后 五年 前183年
春 趙佗が帝号を称す
趙佗は自らを南越武帝と称した。
兵を発して長沙を攻め、数県を破って引き揚げた。
秋八月・九月 淮陽王の死と北辺防衛
秋八月、淮陽懐王彊が死去した。壺関侯武を淮陽王に立てた。
九月、河東・上党から騎兵を徴発して北地に駐屯させた。
また、この年から戍卒の交代を一年ごととした。秦代には長期の辺境勤務で多くの死者が出ていたため、その負担を軽くする意味があった。
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