資治通鑑漢紀 太祖高皇帝 八年 前199年

冬十月 東垣遠征と柏人での危難回避

  • 高祖は東垣で韓王信の残党を討った。
  • その途上、柏人を通過したが、貫高らが厠の壁の中に刺客を潜ませて高祖を襲おうとしていた。ところが高祖は県名を聞いて不吉さを感じ、その地に宿泊せず立ち去ったため難を免れた。

十二月―翌春三月 巡幸

  • 十二月、高祖は東垣から帰還した。
  • 春三月には洛陽へ巡幸した。

商人への服制・行動規制

  • 洛陽で、高祖は商人に対し、錦・繍・綺・縠・絺・紵・罽などの華美な衣服を着ること、武器を持つこと、車に乗ること、馬に騎乗することを禁じた。

秋九月 淮南王らを従えて移動

  • 秋九月、高祖は洛陽から移動し、淮南王・梁王・趙王・楚王がこれに従った。

匈奴対策と和親案

  • 匈奴の冒頓単于がたびたび北辺を苦しめていたため、高祖は劉敬に対策を問うた。
  • 劉敬は、天下平定直後で兵は疲弊しており、武力で服属させるのは難しいと述べた。また冒頓は父を殺して立った人物で、仁義を説いても通じないとした。
  • そのうえで、嫡長公主を冒頓に嫁がせ、厚く贈り物をして、その子を太子にさせれば、将来は漢の外孫が単于となり、長期的に匈奴を従わせられると説いた。
  • 高祖はいったん賛成したが、呂后は太子のほかに娘が一人しかいないとして泣いて拒み、結局、本当の長公主は送られなかった。