冬 偽の長公主を匈奴へ送り和親成立
- 高祖は民間から娘を選んで長公主と称し、匈奴の単于に嫁がせた。
- 劉敬を派遣して和親の盟約を結ばせた。
司馬光の評
- 司馬光は、劉敬が冒頓を「仁義では説けない残忍な人物」と見ながら、婚姻によって服従させようとしたのは矛盾だと批判する。
- 父すら禽獣のように扱った冒頓が、岳父との親族倫理を守るはずはなく、しかも魯元公主はすでに趙后であった以上、この策はもともと粗略であったと論じる。
劉敬の献策 関中強化のための移民
- 劉敬は匈奴から帰ると、匈奴に近い地域は長安から近く、軽騎なら短期間で秦中に達すると説いた。
- 関中は戦乱後で人口が少ないが土地は肥沃であり、そこへ六国の後裔や豪傑・名家を移住させれば、平時には匈奴への備えとなり、諸侯に変があれば東征軍の基盤にもなると建議した。
- 高祖はこれを採用した。
十一月 豪族の関中移住
- 斉・楚の大族である昭氏・屈氏・景氏・懐氏・田氏の五族と、各地の豪傑を関中へ移住させ、便利な田宅を与えた。
- 移住人口は十余万口に及んだ。
十二月 洛陽巡幸と貫高事件の発覚
- 十二月、高祖は洛陽へ向かった。
- 貫高の怨敵が、柏人での高祖暗殺計画を告発したため、高祖は趙王張敖と関係者を逮捕させた。
- 趙午ら十余人は自殺したが、貫高だけは怒って「張王は無実だ」と言い張り、自分たちだけの企てであると主張した。
- 彼は檻車に入れられ、厳重に封じられて張敖とともに長安へ送られた。
- 取り調べでは酷刑を受け、全身に傷を負ったが、最後まで張敖の関与を認めなかった。