資治通鑑漢紀 太祖高皇帝 十年 前197年

春正月 趙王張敖の赦免と貫高の最期

  • 呂后は、張敖が公主の夫であるのにこの扱いは不当だとたびたび訴えたが、高祖は聞き入れなかった。
  • 廷尉からの報告を受けた高祖は、貫高を知る泄公に密かに事情を探らせた。
  • 泄公は傷ついた貫高を輿に載せたまま慰め、張王に本当に謀反の意思があったか尋ねた。
  • 貫高は、自分の一族三族が死罪に処されようとしている以上、王を親族以上にかばう理由はないとして、張王は無実で、自分たちだけの計画だったと詳しく述べた。
  • 高祖はこれを受けて張敖を赦したが、王位は廃して宣平侯とし、代王如意を趙王に移した。
  • 高祖は貫高の人物を惜しみ、赦免を伝えさせたが、貫高は「張王の無実を明らかにするためだけに生き延びた。主君が赦された今、弑逆を企てた臣として生きる顔はない」と言って自殺した。

荀悦・司馬光の論評

  • 荀悦は、貫高はそもそも君主殺害を企てた大逆人であり、王の無実を明らかにしたからといって赦すべきではないと論じる。
  • 司馬光は、高祖の驕慢がこのような臣下を失わせ、貫高の凶暴さが張敖を亡国に導いたとして、双方に責任があると評する。

丙寅以前の罪人への恩赦

  • 丙寅以前の罪で、死罪以下の者を広く赦免する詔が出た。

二月 張敖に従った田叔・孟舒の抜擢

  • かつて高祖は、張王に従う趙の群臣や賓客を皆族滅すると命じていた。
  • それでも郎中の田叔・孟舒は、自ら髪を剃り首枷をはめて王家の奴となり、張敖に従った。
  • 張敖が赦されると、高祖はこの二人を賢とし、召し出して語り、その能力が朝廷の臣に劣らぬことを認め、郡守や諸侯国の相に任じた。

夏六月晦日 日食と相国設置

  • 夏六月の晦日に日食があった。
  • その後、丞相の蕭何を相国に進めた。