資治通鑑秦紀一 昭襄王 五十六年 前251年
昭襄王の死と孝文王の即位
- 秋、昭襄王が死去し、孝文王が立った。唐八子は唐太后とされ、子楚が太子となった。
- 趙は人質となっていた子楚の妻子を帰国させた。
- 韓王は喪服を着けて弔問し、祭祀に参列した。
燕の趙侵攻と大敗
- 燕王喜は栗腹を趙に遣わして友好を結ばせ、帰国した栗腹は「長平の敗戦で趙の壮年層は失われ、残る孤児はまだ成長していない。今なら攻められる」と進言した。
- 昌国君楽閒は、趙は四方を強敵に囲まれた戦争慣れした国であり、軽々しく攻めるべきでないと反対したが、燕王は聞き入れず、栗腹に大軍を授けて鄗を攻め、卿秦には代を攻めさせ、自らも別軍を率いて続いた。
- 将渠は、贈り物と酒で親交を結んだ直後に攻めるのは不祥だとして出兵を止めようとしたが、燕王は退けた。
- 趙では廉頗が迎撃し、鄗で栗腹を破り、楽乗が代で卿秦を破った。趙軍はさらに五百里あまり追撃して燕を包囲した。
- 燕は講和を求め、趙は将渠を宰相にして和議を担わせることを条件とし、燕がこれに従うと趙軍は撤退した。
平原君の死
- この年、趙の平原君が死去した。