資治通鑑秦紀一 孝文王 元年 一年 前250年

孝文王の短い在位

  • 冬十月己亥、孝文王が即位した。
  • しかし在位わずか三日で死去した。

子楚の即位

  • 子楚が立って荘襄王となった。
  • 華陽夫人は華陽太后、夏姫は夏太后とされた。

魯仲連、聊城問題を解決する

  • 燕将が斉の聊城を攻略したが、燕王が彼を疑ったため、将は帰国できず城にこもった。斉の田単が一年余り攻めても落ちなかった。
  • 魯仲連は書簡を矢に結びつけて城内に射込み、燕に帰れば罪を受け、斉に降れば辱めを受けるという将の苦境を踏まえつつ、孤城を守り続けても益がないと利害を説いた。
  • 燕将は三日泣いて迷った末、他人に殺されて辱めを受けるより自ら死ぬことを選び、自殺した。ほどなく聊城は乱れ、田単がこれを奪回した。
  • 田単は魯仲連の功を斉王に報告し、爵位を与えようとしたが、魯仲連は富貴のために人に屈することを嫌い、海上へ去った。

魯仲連への評価

  • 魏の安釐王が高士について子順に問うと、子順は当代に真の高士は見当たらないが、次善として魯仲連を挙げた。
  • 王が「魯仲連は無理に作った人格で自然体ではない」と評すると、子順は、人は努力を積み重ねてこそ君子となり、習いが身につけばそれが自然になるのだと答えた。