資治通鑑秦紀一 始皇帝上 十九年 前228年

趙の滅亡

  • 王翦は趙軍を撃ち、大破して趙葱を殺し、顔聚を逃亡させた。
  • そのまま邯鄲を陥れ、趙王遷を捕虜とし、趙は滅んだ。
  • 王は邯鄲へ赴き、自分や母に遺恨を持っていた者たちを皆殺しにした。
  • その後、太原・上郡を経て帰還した。

太后の死と代王嘉

  • 太后が死去した。
  • 王翦は中山に屯して燕を威圧した。
  • 趙公子嘉は宗族数百人を率いて代へ逃れ、代王を称した。趙の旧臣たちも次第に彼のもとへ集まり、燕と連合して上谷に駐屯した。

楚・魏の王位交代

  • 楚の幽王が死ぬと、国人は弟の郝を立てた。
  • しかし三月、郝の庶兄の負芻が彼を殺して自立した。
  • 魏の景湣王も死に、子の仮が立った。

燕太子丹、荊軻を用いる決意

  • 燕太子丹は秦王に礼を欠かれたことを怨み、その報復策を傅の鞠武に相談した。
  • 鞠武は、西に三晋と結び、南に斉楚と連なり、北に匈奴と和して、長期的に秦に対抗すべきだと説いた。
  • しかし丹は、その策は遠大すぎて待てないとして退けた。

樊於期の亡命

  • ほどなく、秦の将軍樊於期が罪を得て燕へ逃げてきた。太子丹はこれを受け入れ、館舎に置いた。
  • 鞠武は、秦王が樊於期に深い怒りを抱いている以上、燕が彼を匿えば自ら禍を招くことになるとして、匈奴へ送るよう諫めた。
  • だが丹は、困窮して身を寄せた者を見捨てることはできないとして聞かなかった。

荊軻、秦王刺殺を引き受ける

  • 太子丹は、衛の人荊軻が賢いと聞き、へりくだった態度と厚礼で迎えた。
  • 丹は、秦が韓を滅ぼし、楚・趙を脅かしており、やがて禍は燕に及ぶ、諸侯も秦に服して合従は望めないと語った。
  • そこで、天下の勇士を秦へ遣わし、秦王を劫して諸侯の旧地を返還させるか、かなわなければ刺殺し、内乱を起こしてその隙に諸侯を再結集させたいと打ち明けた。
  • 荊軻はこれを引き受け、太子は彼を上舎に住まわせ、日々手厚く遇した。

樊於期の首と督亢の地図

  • 王翦が趙を滅ぼすと、太子丹は恐れ、荊軻に出発を促した。
  • 荊軻は、秦王に近づくには確実な手土産が必要であり、樊於期の首級と燕の督亢の地図があれば王は喜んで会見するだろうと言った。
  • 丹は樊於期を犠牲にすることを忍びなかったが、荊軻はひそかに樊於期に会い、父母・宗族を皆殺しにされた秦への恨みを述べ、首を差し出せば仇を報じて燕の辱めもすすげると説いた。
  • 樊於期はこれに感じ入り、自ら首を刎ねた。太子丹は駆けつけて泣いたが、もはやどうすることもできず、その首を函に収めた。
  • 太子はあらかじめ鋭利な匕首を用意し、工人に毒をしみ込ませて、人に試すと血が糸ほどにじむだけで即死するほどであった。
  • こうして太子丹は、荊軻を正使とし、燕の勇士秦舞陽を副使として、秦へ送り出す準備を整えた。