秦、魏を圧迫
- 秦と趙は穰で会した。
- その後、秦は魏の安城を抜き、大梁にまで兵を進めてから帰還した。
斉の法章、即位する
- 淖歯の乱で、湣王の子法章は名を変え、莒の太史敫の家で雇人となって身を隠した。
- 太史敫の娘は法章の容貌が並外れているのを見て私かに衣食を与え、やがてひそかに通じた。
- 一方、王孫賈は母に叱咤され、市中で淖歯討伐を呼びかけると四百人が応じ、淖歯を討ち取った。
- その後、斉の遺臣たちは湣王の子を求めて立てようとし、法章は長く身を隠した末にようやく名乗り出て、斉王に立てられた。
- 彼は莒を保って燕に抗し、国内に「王はすでに莒に立った」と布告した。
和氏の璧をめぐる秦趙外交
- 趙王は楚の和氏の璧を得ていた。秦の昭王はこれを欲し、十五城と交換したいと申し出た。
- 趙王は秦の強さを恐れて断れず、欺かれることも恐れて藺相如に相談した。
- 相如は、拒めば趙が理に背き、与えて城が得られなければ秦が理を失うとして、自ら璧を持って赴くことを願い出た。
- 秦王には璧と引き換えに城を渡す意思がないと見た相如は、機略で璧を取り戻し、従者に抱かせて抜け道から趙へ帰らせたうえ、自分だけが秦で処分を待った。
- 秦王はその賢さを認めて殺さず、礼をもって帰国させた。趙王は相如を上大夫とした。
衛嗣君の逸話
- 衛の嗣君が死去し、子の懐君が立った。
- 嗣君は細かなことまで察知する人物として知られ、寝具の傷みを見抜いて県令に席を賜ったり、関市の賄賂のことを見抜いて返させたりしたという。
- また、泄姫と如耳への寵愛の偏りが自分への障害になるのを恐れ、薄疑や魏妃を引き立てて勢力の均衡を図った。
- ここでも荀子の説が引かれ、民から搾り取るだけの君主は亡び、民を得る者・政を行う者・礼を修める者の順に優れると評される。