資治通鑑周紀三 慎靚王 元年 前320年

衛の称号降格

  • 衛はさらに称号を落とされ、侯に続いて「君」と称するようになった。周辺の秦・魏にはさまれて国力が日ごとに衰え、地位の低下がいっそう明白になった。

秦の韓侵攻と魏王の交代

  • 秦は韓を攻め、鄢を奪った。
  • 魏の惠王が死去し、子の襄王が即位した。魏王の系譜と在位年数については史料によって食い違いがあり、『史記』よりも魏国側の古い編年史料を採るべきだとされる。

孟子の魏襄王評

  • 孟子は魏襄王に拝謁したが、退出後、人々に対して「遠目には君主らしく見えるが、近づいても畏敬すべき威が感じられない」と評した。
  • 襄王が「天下はどうすれば安定するか」と問うと、孟子は「統一によってである」と答え、さらに「誰が統一できるか」との問いには「人を好んで殺さない者である」と説いた。
  • 孟子は、旱天で枯れた苗も大雨が降れば勢いよく伸びるのと同じで、仁政を行う者が現れれば天下は自然にこれに従い、これを防ぐ者はいないと論じた。