顯王の死と周王交代
諸国の君主交代
- 燕の易王が死に、子の噲が立った。
- 斉王は田嬰を薛に封じ、靖郭君と号させた。
靖郭君、斉政を専断
- 靖郭君は斉王に、五官の政務は毎日聴き、しばしば閲覧せねばならないと進言した。
- 王は当初従ったが、やがて煩わしくなり、すべてを靖郭君に委ねた。
- こうして靖郭君は斉の実権を専らにするようになった。
薛の築城を止める諫言
- 靖郭君は薛に城を築こうとした。
- 客の一人が、海の大魚も水を失えば螻蟻に制せられる、いまの斉こそ君の水である、長く斉を保てるなら薛などいらず、もし斉を失えば、薛の城が天まで高くても頼みにはならぬと諫めた。
- 靖郭君はこれを聞き入れ、築城をやめた。
孟嘗君の登場
- 靖郭君には四十人の子がいたが、その賤妾の子の文は、闊達で才知と計略に富んでいた。
- 文は父に、財を散じて士を養うべきだと説き、家政と賓客接待を任された。
- 賓客は競ってその美点を称え、文を後継にすべきだと勧めた。
- 靖郭君が死ぬと、文があとを継ぎ、薛公となり、孟嘗君と号した。
孟嘗君の養士
- 孟嘗君は諸侯の遊士や罪を得て亡命してきた者まで広く招き、住まいを与え、厚く遇した。
- 親戚の困窮を救い、食客は常に数千人に達した。
- 客はそれぞれ、自分こそ孟嘗君に親しく遇されていると思い、その名声は天下に重んじられた。
司馬光の論評
- 司馬光は、君子が士を養うのは民のためであるとし、賢者の徳・才・明・強は天下や国家を利するからこそ厚禄・高爵で養うべきだと論じる。
- これに対し孟嘗君は、智愚や善悪を問わず、君主の禄を盗んで私党を作り、虚名を張って上を侮り下を害したのであって、奸人の雄にすぎず、尊ぶに足りぬと強く批判した。
- 『書経』の「逋逃の主となり淵藪をなす」という句を引き、その典型だと断じている。
象牙の床をめぐる諫言
- 孟嘗君が楚へ赴いたとき、楚王は象牙の床を贈ろうとした。登徒直はその輸送役になりたくなかった。
- 少し傷ついただけでも妻子を売っても弁償しきれないと恐れ、公孫戌に頼み、もし自分をこの役から外してくれたら家伝の宝剣を贈ると言った。
- 公孫戌は孟嘗君に、小国が競って相印を捧げるのは、君が貧窮を救い、滅亡寸前の者を助け、断絶を継がせる義と廉を慕うからだ、今ここで象牙の床を受ければ、これから行く国々は何をもって君を遇すればよいのかと諫めた。
- 孟嘗君はもっともだとして受け取らなかった。
- 退出しかけた公孫戌を呼び戻し、どうしてそんなに志が高いのかと問うと、事情を正直に話した。
- 孟嘗君は門札に、私に外で得をさせつつも、私の過ちを止め、名声を上げてくれる者は、すぐに諫めよと記させた。
司馬光、孟嘗君の諫受を評価
- 司馬光はこの点について、孟嘗君は諫言を用いることはできたと評価する。
- たとえ相手に欺きの心があっても、その言が善ければ採用したのだから、まして忠誠で私心なく仕える者の諫めならなおさら用いうるはずだと述べた。
- 『詩経』の「葑や菲を採るに下体を以て棄つるなかれ」を引き、取るべき点を捨てぬ姿勢を認めた。
韓宣惠王、二人の権臣を並立させようとする
- 韓宣惠王は、公仲と公叔の二人をともに政務に用いようとして、繆留に相談した。
- 繆留は、晋が六卿を用いて国が分裂し、斉の簡公が陳成子と闞止を並立させて殺され、魏が犀首と張儀を用いて西河の外を失った例を挙げて、不可だと答えた。
- 力の強い方は国内に党を立て、弱い方は国外の権勢を頼み、群臣が内に党を結んで君主に驕り、外と結んで領土を削るなら、国は危うくなると戒めた。