說唐第四十三回 赦書を改め李世民は解き放たれ、彩球を投げて単雄信は婚礼を挙げる (改赦書世民被釋  拋彩球雄信成婚)

赦書の改竄と秦王の脱出

魏徴は李密の赦書にある「不赦南牢李世民(南牢の李世民は赦さず)」の「不」の字に一画加えて「本」に改め、「本赦南牢李世民(南牢の李世民をこそ赦す)」の意にすり替えた。徐茂公・魏徴はこの偽詔をもって秦王を牢から出し、逍遙馬と定唐刀を返して逃がした。

李密の激怒と三人の追放

凱旋した李密が詔書を検分して改竄に気づき激怒、徐茂公・魏徴の官職を剥奪して追放する。茂公は昏君ぶりを皮肉る詩を午門に貼って立ち去った。李密は秦叔宝・羅成に二人の追跡を命じるが、二人はわざと見失ったふりをして戻る。李密がこれを咎めようとしたところ、程咬金が諫めて激しく反発したため、三人とも官職剥奪の処分を受けた。母を亡くしていた秦叔宝・程咬金と、母を伴う羅成の三人は家族を連れて諸国を放浪する旅に出た。金墉の諸将も次第に離散し、これを好機と見た王世充が密かに金墉侵攻の兵を起こす。

金墉の陥落と李密の唐への降伏

糧秣も兵も乏しい中、王世充の急襲を受けた李密は、王伯当の勧めで唐への亡命を決意し、わずかな側近と共に長安へ落ち延びた。洛陽に入った王世充は蕭后のみを処刑し、他の家族は赦した。

長安に着いた李密は自ら縄を打って降を請い、秦王世民のとりなしにより高祖は李密を赦して邢国公に封じ、淮陽王李仁の娘を娶らせた。王伯当らも官職を得た(伯当は李密の幕僚に留まることを望んだ)。

単雄信の婚姻と三賢館

洛陽の王世充は妹・青英公主の婿を選ぶ彩球の儀を催し、球はたまたま李密のもとを去って洛陽に流れ着いていた単雄信に当たり、二人は結ばれた。まもなく秦叔宝・羅成・程咬金の三人が洛陽に流れ着き、単雄信は再会を喜ぶが、唐との旧縁を憂慮し、王世充への出仕は勧めず、三賢館に匿い留めた。

李密の反心と最期

邢国公となった李密は、かつての栄華に及ばぬ現状に不満を抱き、山西の変事に乗じて出師を願い出て許された。公主にも同行を勧め野心を打ち明けたところ、公主に恩知らずと罵られ、激高して公主を斬殺してしまう。王伯当と共に逃走するが、追跡した秦王の軍に艮宮山の断密澗で追い詰められる。伯当は李密をかばって奮戦するが、乱箭に射られて落命、李密も同行の数名と共に討たれた。秦王は伯当の遺骸を手厚く葬り、李密の首級は長安の午門に晒された。

その後、徐茂公・魏徴は李密の首級に哭拝したところを捕らえられて連行されるが、秦王のとりなしで赦され、旧主・李密の遺骸を天子の礼で葬ることを条件に唐への帰順を果たした。高祖は徐勣(茂公)を軍師、魏徴を洗馬に任じ、二人はかつての金墉の諸将を唐に招集した。