権と時勢を頼む論
- ある論者は斉閔王に、「戦を好んで先んじる者は憂い、盟約して人の怨みを一身に受ける者は孤立する。後から動く者こそ有利であり、時流を捉える者こそ好機を得る」と説いた。干将莫邪の名剣も人の力を借りねば物を断てず、鋭い矢も弩機の力なくしては遠くを射抜けないように、権勢と時勢がなければ事は成らないと論じた。
- かつて趙が衛を攻めた際、魏が衛を助けて趙から河東の地を得た例、その後楚が趙を助けて趙が魏の河北を襲った例を挙げ、いずれも当事国(衛)自身の望みではなく、時流に乗った第三国が利を得たことを示した。
大国と小国それぞれの道
- 論者は、兵が弱いのに強敵に挑み、国が疲弊しているのに怨みを買う六つの過ちを戒め、善く国を治める者は民意に従い兵力を見極めて動くべきだと説いた。
- 斉が韓魏のために秦楚と戦った際、実際の負担は少なかったのに天下から怨まれたのは、他国の怨みを一身に引き受けたためだと分析し、大国は後から動いて不義を討つべきであり、小国は謹んで諸侯の信を裏切らぬことが肝要だと説いた。
- 呉王夫差が天下に先んじて強を誇り、結局は滅亡した例、萊莒・陳蔡が謀略や虚偽に頼って滅んだ例を引き、駑馬や凡人でも後から動けば勝てるという故事(騏驥の衰えを駑馬が追い越す譬え)を添えて、後発の有利さを強調した。
戦わずして覇を成す道
- 論者は、諸侯が同じ利害・同じ憂いを共有すれば、盟約せずとも自然に足並みが揃うとし、斉燕の戦いに乗じて胡人が燕を襲った例(利害が一致すれば疎遠な相手とも協調する)を引いた。
- さらに、戦争そのものが国を疲弊させ財を空費する害を、庶民の負担・兵器の損耗・攻城戦の消耗など具体的に列挙し、たとえ戦に勝っても兵と民が疲弊すれば王者の楽しみとは言えないと論じた。
- 智伯が范氏・中行氏を滅ぼしなお晋陽を攻めて自滅した例、中山が燕趙に連勝しながら結局は斉に滅ぼされた例を引き、「戦い続けて勝ち続けても、守りを固めるだけで疲弊するなら真の利益にならない」と説いた。
- 理想の王業とは、天下を疲れさせて自らは安んじ、諸侯に策謀の余地を与えず、自国に憂いを残さぬことにあると論じた。
衛鞅の対魏策(実例)
- 魏王が千里の領土と三十六万の甲兵を恃み、邯鄲を落とし諸侯を従えて秦を窺った際、秦の衛鞅は秦王に「魏の勢いは大きいが、従えているのは弱小国に過ぎない。むしろ魏王に王者の服制を僭称するよう勧めれば、斉楚の怒りを買い、諸侯が斉に奔って魏を討たせられる」と献策した。
- 衛鞅は魏王を説いて天子の儀礼を僭称させ、これに怒った斉楚が魏を攻めさせ、魏は太子を殺され十万の軍を失う大敗を喫した。秦は労せずして西河の外の地を得た。この事例は「堂上の謀議だけで敵将を捕らえ、宴席の間に城を落とす」戦わずして勝つ道の実証として引かれている。