馮諼、狡兔三窟を築く
- 貧しい馮諼は孟嘗君の食客となったが、当初は待遇の悪さを剣を叩いて歌で訴え続け、魚のある食事、車、家族の扶養を順に得た。
- 後に孟嘗君が薛の借金取り立てを募ると馮諼が名乗り出た。彼は薛に赴くと借用証書を焼き捨て、取り立てず「君のために義を買った」と告げ、当初孟嘗君は不満だったが、後に斉王に疎まれ薛へ退いた際、民が老幼を連れて出迎え、義の効果を実感した。
- 馮諼はさらに、梁の恵王に孟嘗君を高く評価させて斉王に危機感を抱かせ、また薛に先王の祭器を祀る宗廟を建てさせることで、孟嘗君の地位を三重に安泰にした(狡兔三窟の計)。孟嘗君は数十年相の座にあって禍を免れたのは、この馮諼の計によるという。
公孫戍(公孫閈)の秦王問答
- 孟嘗君が合従の使者を秦へ送る際、公孫2592(人名)は秦昭王に「孟嘗君は義を重んじ、天子にも諸侯にも臣従せず、志を得なければ人臣ともならない士を従えている」と説き、秦の脅しに屈せず、昭王を感心させた。
魯仲連、孟嘗君の「好士」を問う
- 魯仲連は孟嘗君に「雍門・陽得子のような富裕な家臣ほど食客に慕われていない。士に真に尽くされているとは言えない」と述べ、名馬・美女に頼るように、真に優れた人材を古に求める必要はなく、現世で見出すべきだと説いた。
譚拾子の慰め
- 斉から追放され復帰した孟嘗君が怨みを抱いていた士大夫を殺そうとした際、譚拾子は「市場が朝に賑わい夕べに閑散とするのは人情の必然、貧賤になれば人は去り富貴になれば集まるのが道理」と説き、怨恨リストを焼き捨てさせた。
顔斶、士の貴さを説く
- 斉宣王が顔斶を召したが、顔斶は「士が前へ出るのは権勢に媚びること、王が前へ出るのは士を敬うこと」と述べ、王よりも士の方が貴いと主張した。柳下季の墓を荒らす者は死罪とした秦の令を例に、生きた王の首より死んだ賢者の墓の方が重んじられると説き、宣王を感服させた。顔斶は後に厚遇の申し出を辞退し、質素な生活に戻ることを選んだ。
王斗の直言
- 王斗は宣王に、桓公が馬・犬・酒・色・士すべてを好んだのに対し、宣王は士だけを好まないと直言し、宣王はこれを認めて五人の賢士を登用し斉は大いに治まった。
趙威后の問答
- 斉王の使者が趙威后に挨拶した際、威后は「王より先に年(収穫)と民の安否を問う」ことの理を説き、鍾離子・葉陽子・北宮之女嬰児子ら民を助ける賢者や孝行者が用いられず、無為徒食の於陵子仲が生かされていることを批判した。
田駢の弁明
- ある斉人が田駢の「仕官を望まぬ」という高議を問うと、田駢は「隣家の娘が嫁がぬと言いながら七人の子を生んだように、仕官せぬと言いつつ財も禄も十分に得ている」と評されて言葉に窮した。
管燕の嘆き
- 罪を得た管燕が左右に「共に諸侯へ亡命してくれる者はいるか」と問うたが誰も答えず涙した。田需は「士に鵞鳥や絹の余り物すら分け与えず、財を惜しんで死を求めるのは、士が得難いのではなく用い方が悪いのだ」と指摘した。
蘇秦と帝号・伐宋の策
- 秦が魏冉を遣わし帝号を斉に贈ろうとした際、蘇秦は斉王に「一旦帝号を称して後に取り下げれば、諸侯の秦への反発を集め斉が漁夫の利を得られる」と説いた。
- さらに蘇秦は、秦とともに帝を称すれば天下は秦を尊び斉を軽んじるが、帝号を返上すれば天下は斉を慕い秦を憎むと説き、趙を攻めるより宋を攻める方が実利が大きいとして、帝号を捨てて秦との盟約を破棄し、その隙に宋を奪うべきだと進言した。