戰國策齊策(三)(齊三)

楚太子をめぐる薛公と蘇秦の駆け引き

  • 楚懐王が張儀に欺かれ秦で客死し、太子は人質として斉にいた。蘇秦は薛公に「太子を留めて楚の東国の地と引き換えにすべき」と勧めたが、薛公は「空しく人質を抱えて不義の名を得るだけではないか」と危惧した。
  • 蘇秦は「楚の新王擁立と絡めて交渉すれば東国の地を確実に得られる」と説き、実際に楚へ赴いて楚王・太子それぞれに異なる説得を行い、双方から譲歩を引き出しつつ、最終的に太子を無事に楚へ帰し、自らも楚から武貞の地に封じられるという多重の利益を得た。この一連の駆け引きは、蘇秦の弁舌がいかに巧みで各方面に配慮していたかを示す例として記されている。

孟嘗君の秦行きを止めた喩え

  • 孟嘗君(薛公田文)が秦へ入ろうとした際、蘇秦は「土偶人と桃梗が問答する寓話」(桃梗の人形は雨で流されればどこへ行くか分からない)を引き、秦は四方を険阻に囲まれた虎口のような国であり、一度入れば出られなくなると諫めた。孟嘗君はこれを聞き入れ、渡秦を取りやめた。

薛の危機と淳于髠の弁

  • 孟嘗君が薛にいた頃、楚が薛を攻めた。斉から派遣されていた淳于髠は帰国後、斉王に「薛は身の程を知らず先王の宗廟を建てたが、楚の攻勢も激しい」とだけ述べ、宗廟の危機を暗示する巧みな物言いで、遠回しな哀願よりも速やかに斉の援軍を引き出した。

夏侯章の逆説的な忠誠

  • 孟嘗君は自分を陰で誹謗する夏侯章を厚遇し続けた。夏侯章は「自分に功もないのに厚遇を受けているのは心苦しいので、誹ることで釣り合いを取っているのだ」と語り、孟嘗君はその真意を知りつつ黙認していた。

三先生の献策

  • 孟嘗君が宴席で長老たちに教えを請うと、一人は「君を侵す者あらば命を賭して弁護し、短所を隠して長所を語ろう」と述べ、もう一人は「財を用いて天下の賢士を集め、魏文侯が田子方・段干木を敬った故事のように、危急に応じられる体制を築くべき」と献策した。

舎人と夫人の一件

  • 孟嘗君の食客が夫人と通じていることを知った孟嘗君は、これを罰さず黙認し、一年後にその者を衛へ送り出して活躍の場を与えた。後に衛君が斉を攻めようとした際、この人物は「斉衛の先君が不戦の盟約を交わした故事」を引いて衛君を諫め、斉への攻撃を思いとどまらせた。斉の人々は、孟嘗君が舎人を罰しなかったことが結果的に禍を福に転じたと評した。

魯連の諫め

  • 孟嘗君が気に入らない食客を逐おうとした際、魯連は「猿は木にはよいが水には向かず、駿馬も険阻な道では狐狸に劣る」など適材適所の理を説き、人にはそれぞれ得手不得手があるとして、逐うことを思いとどまらせた。

公孫戍の三つの喜び

  • 楚から贈られた象牙の寝台を巡り、食客・公孫戍は孟嘗君に受け取りを諫め、孟嘗君はこれに従った。公孫戍は喜びの理由として「諫言できたこと」「聞き入れられたこと」「君の過ちを止められたこと」の三つを挙げ、孟嘗君は感心し、以後諫言を歓迎する布告を出した。

淳于髠、一日に七士を推挙する

  • 淳于髠が一日で七人の賢士を宣王に推挙したことに王が驚くと、淳于髠は「同類の鳥獣は群れをなす、賢士を求めるのも同様で、私は賢者の同類だからいくらでも推挙できる」と答えた。

韓子盧と東郭逡の寓話

  • 斉が魏を伐とうとした際、淳于髠は「駿犬と狡兎が疲れ果てて共倒れになり、通りがかりの農夫が労せず両方を得た」譬えを引き、斉魏が長く争えば強秦や楚が漁夫の利を得ると諫め、斉王は兵を休めた。

国子の分析

  • 秦が趙の馬服君(趙括)の軍を長平で破り邯鄲を包囲した際、斉魏も秦に加担して趙の地を奪ったが、魏の公子無忌(信陵君)は晋鄙を殺して兵符を奪い、魏軍を率いて邯鄲を救った。
  • 国子は、秦が趙魏楚の要地(晋陽・安邑・鄢郢)を奪い韓の地も得れば天下の半ばを制することになり、斉だけが秦と国境を接しないため危機感が薄いが、それゆえに趙魏楚は皆な斉と結ぶことを重視すると分析し、斉がこの立場を活かせずにいることを惜しんだ。