韓と斉の同盟、燕の内乱
- 秦魏が韓を攻めた際、田臣思は斉王に「韓を助けず放っておけば韓は楚趙と結んで秦に当たり、燕はこちらのものになる」と説き、斉王はこれに従った。
- 折しも燕では子噲が相・子之に国を譲ろうとしていた。蘇代は子之のため子噲に、堯が許由に天下を譲ろうとした故事を引いて美名を求めさせ、子噲は国を子之に譲ったが、民は服さず孟子も無王命の禅譲を非としたため、斉はこれを口実に燕を攻め、三十日で燕都を陥落させた。
張儀の秦脱出策
- 秦恵王が死に武王が立つと、張儀は側近の讒言を恐れ、武王に「私を魏へ行かせれば斉は必ず魏を攻め、斉魏が城下で相争っている間に秦は韓を攻め三川を得て天子を挟むことができる」と献策し、自ら魏へ赴いた。
- 斉が果たして魏を攻めると、張儀の食客・馮喜は楚経由で斉王に「張儀を憎むあまり魏を攻めれば、かえって秦の思惑通りになり、張儀の秦王への信用を高めるだけだ」と説き、斉王は魏攻めを取りやめた。
犀首と張儀の暗闘
- 犀首(公孫衍)は魏のため斉と承匡で戦い敗れた。張儀は秦魏斉の連横を進めようとしたが、犀首はこれを妨げようと衛君を介して張儀に近づき、表向き和解したふりをした。斉王はこれを見て「犀首と張儀が結託して斉を売ろうとしている」と疑い、連横策を退けた。
昭陽の蛇足
- 楚将・昭陽は魏を破って城を得た勢いで斉へ矛先を向けようとした。陳軫は斉のため昭陽を訪ね、「蛇を描き足した者が酒を失った」譬えを引き、令尹以上の官位はなく、これ以上戦って勝ち続けても身の危険が増すだけだと説いた。昭陽は納得し兵を退いた。
趙の求和と斉の対応
- 秦が趙を攻め、趙は五城を秦に献じて講和し、共に斉を攻めようとした。斉王が恐れて十城を秦に求めると、趙は上党の地を秦に許して更に厚遇を図ろうとしたが、趙足は斉王に「趙と結べば趙は必ず秦に背き、斉の憂いは消える」と説いた。
権の戦いと李向への献策
- 斉燕が権で戦った際、秦は魏冉を趙に遣り燕を助けさせようとした。薛公の使者は李向に、「兵を動かさず様子を見れば、斉が緩めば燕と再戦させ、疲弊した方から利を得られる」と献策した。
長平の戦いと斉への糧食要請
- 秦が趙の長平を攻め斉楚が趙を救おうとした際、趙は斉に食糧を求めたが斉は応じなかった。蘇秦(一説に周子)は斉王に「趙は斉燕の防波堤であり唇亡べば歯寒しの理」と説き、趙を救うことが名分にも実利にもかなうと諫めた。
周韓の情勢分析
- ある者は斉王に、周韓は西に強秦、東に趙魏を控える要衝であり、斉が秦の求めに応じて趙魏を攻めれば、趙魏滅亡後には秦の矛先が斉に向かい、天下に助けを求めても得られなくなると警告した。