西太后演義芝居好きが声楽を究め、新学と政法を講ず(第三十四回 中戲迷詳究聲歌 講新學兼陳政法)
頤和園での観劇
- 西太后は裕太太母子と皇后以下の宮眷を伴い頤和園へ赴いた。舞台では楊小樓・徳珺如・龔雲甫らが次々に演じ、西太后は徳菱姉妹にも観劇を許した。
- 名優譚鑫培(叫天)が遅れて到着し、郎徳山を相方に「盜魂鈴」を演じた。西太后は梆子腔の節回しを手拍子で取りながら絶賛し、徳菱姉妹に声楽の技巧を詳しく解説して聞かせた。
- 演目後、西太后は出演した役者全員に餑餑を振る舞い、回教徒の郎徳山には豚肉を避けさせるよう配慮した。
名優譚鑫培への評
- 夕食の席で西太后は徳菱に、往年の名優程長庚の逸話や譚鑫培の芸の巧みさ(発声・四声の使い分けなど)を熱心に語った。
裕太太母子の頤和園滞在
- その夜、西太后は裕太太母子を園内に泊まらせ、以後宮眷として頤和園に住むよう命じた。自ら住まいを案内し、壁に飾った自筆の書画を見せながら、蜀の女官繆素筠との交流を語った。
- 翌朝、裕太太らは暇乞いをし、西太后から蘇杭の貢緞を賜って帰宅した。裕庚は妻子の入宮を了承した。
徳菱と新学・法律をめぐる問答
- 数日後、再び入宮した徳菱は、西太后の奏折閲覧に立ち会い、西洋の学術(農学・工学・商学・兵学・理化学・法律学など)について問われるままに説明した。
- 西太后は学生の海外派遣を命じる上諭を自ら起草し、旧来の理学一辺倒だった大学士倭仁の見識の狭さを反省する言葉も漏らした。八股廃止・策論採用にも触れた。
- 西洋の刑律(拷問によらず証拠に基づく裁判、極刑としての銃殺など)について問われた西太后は、凌遅・梟首などの残酷な刑を廃し斬決のみとする方針を語った。
劉坤一の訃報
- 談話の最中、両江総督劉坤一の死去が伝えられ、西太后は深く惜しんだ。
評語
芝居好きは常人の情としても、国事多忙な西太后が連日観劇に興じ、名伶を王公同様に厚遇するのは本末転倒である。一方、新学・政法を論じる場面は、西太后の見識を示すというより、徳菱という人物の格を高めるための仕掛けであり、著者が頑迷な端王・剛毅らを憎み、開明的な徳菱を評価する筆致がここにも表れている。