西太后演義第十二回 密旨で権閹追放、凶報に太后驚く (奉密旨權閹出都 驚耗問慈闈肇釁)

東捻・西捻の平定

  • 曾国藩の圏地策は成果が上がらず、台官の弾劾を受けた曾国藩は自ら辞退を願い出て、李鴻章に討捻の任を譲った。李鴻章は曾国藩の策をそのまま継承し、東捻(任柱・頼文洸)を山東で追い詰めた。任柱は部下の裏切りで殺され、頼文洸も捕らえられて東捻は平定された。
  • 西捻の張総愚は陝西・山西を経て直隷に迫ったが、左宗棠・李鴻章らの追討により黄河・運河間に追い込まれ、投水して死んだ。これにより発・捻の乱はすべて平定され、恭親王・李鴻章・左宗棠らに恩賞が下った。
  • なお陝甘の回民の反乱は残っており、左宗棠が五年で平定すると奏上し、その後董福祥を帰順させ、白彦虎を陝西から駆逐して甘粛へ進軍した。

宮中の享楽と安得海の増長

  • 天下が治まると、西太后は安得海の勧めで西苑に戯園を築き連日芝居に興じるようになった。
  • 同治帝は成長し密かに微行を好んだが、母后には逆らえず不満を溜め、密告する安得海を深く恨んでいた(泥人形の首を切り落として腹を立てる場面も見られた)。

安得海の南下と誅殺

  • 安得海は「皇帝の大婚に備え龍衣を調達する」との名目で西太后に南下を願い出て許された。密行のはずが、船に龍鳳の旗を立て、多くの男女を伴い、途中で豪奢に振る舞い、金品を集めながら南下した。
  • 泰安県で山東総兵・王正廷に捕らえられ、済南の巡撫衙門に連行された。巡撫・丁宝楨は「宦官の擅出は祖制違反」として朝旨により即刻処刑を宣告し、安得海は弁明の間もなく斬に処された。従者の一部も処罰された。
  • この上諭は、実は西太后が病臥中に、東太后・恭親王・同治帝の三者で決めたものであった。恭親王が違背を指摘し、同治帝が積極的に厳罰を主張して即決させたのである。

西太后の怒りと李蓮英の台頭

  • 病が癒えた西太后は、腹心となった李蓮英からこの顛末を聞かされ激怒。東太后のもとへ乗り込んで詰問したが、東太后は恭親王と同治帝に責任を転嫁するように答え、はっきりしない態度を見せた。
  • 続いて同治帝を呼び出し激しく叱責したが、同治帝は「安得海は祖制違反で当然の処罰」と言い返し、李蓮英が取り成して事を収めた。翌日、西太后は恭親王を「専擅」として厳しく責め立てた。
  • 安得海に代わり、容姿と手先の器用さで西太后に取り入った李蓮英が寵愛を集め、以後の宮廷に暗い影を落とすことになる。恭親王は西太后の怒りに対処すべく、娘(大公主)に相談を持ちかけるところで回は終わる。