西漢演義第九十九回 長楽宮で高帝は医者を拒む (長樂宮高帝拒醫)

項東の訴え

功臣閣で発言したのは項伯の子・項東であった。項東は、父・項伯がかつて霸上での夜襲を未然に知らせ、鴻門の宴で剣舞により帝を守り、成皋では太公の命を救ったことなど、紀信・夏侯嬰に劣らぬ功績があったのに顧みられていないと訴えた。帝は自らの不明を恥じ、少華公主を項東に嫁がせて縁を結び、隆慶府に住まわせ昭信侯に封じた。

帝の病と後宮の確執

英布討伐時の傷が癒えぬまま病が重くなった帝は、西宮で戚姫と過ごすことが多くなった。呂后は太子や群臣を遣わして帝を長楽宮へ戻すよう説得させ、戚姫は「呂后に害されることを恐れる」と涙したが、群臣の切なる願いに帝はやむなく正宮に戻った。

医者の拒絶

呂后は名医を招いて帝の治療を試みたが、帝は「天命が定まっているなら扁鵲でも及ばぬ」と述べて薬を拒み、医者に褒美を与えて帰した。

後継への遺言

呂后が丞相の後継を尋ねると、帝は「曹参、次いで王陵(陳平の補佐が必要)、次いで周勃(劉氏を安んじる人物)」と答え、それ以上は分からないとした。太子には「趙王如意母子の命を守るように」と遺言し、太子は父子の情と兄弟の情を共に守ると誓った。大漢十二年夏四月甲辰、帝は長楽宮で崩御、享年六十三歳であった。

呂后の企み

崩御後、呂后は四日間喪を秘し、功臣たちの粛清を謀議し始める。その内容は次回に語られる。