西漢演義第八十六回 斉の田横と義士たちは節に死す (齊田橫義士死節)

田横への招諭

張良は「田横は武力で討つより、恩赦と斉復興を約して招くべき」と進言し、帝は上大夫陸賈に詔を持たせて海島へ遣わした。陸賈は海の孤島に暮らす田横を訪ね、伯夷・叔斉や介子推の故事を引きつつ、来朝すれば王侯として田氏の宗祀を保てると説いた。

田横の自刎

側近は「漢帝は表は寛大だが内は厳しい、罠かもしれない」と警戒を促したが、田横は「自分のために側近たちが漢と戦い犠牲になるのは忍びない」と考え、二人の客と共に陸賈に従って洛陽へ向かった。しかし洛陽まで三十里の地点で「かつて漢に敗れて海島に逃れた身が、今さら屈服して封賞を受けるのは大丈夫のすることではない」と自刎して果てた。

二客と五百義士の殉死

同行の二客は田横の遺骸を帝に届け、帝は王の礼で葬らせ二客を都尉に封じたが、二客も「田横に殉じるべき」として塚のそばで自ら命を絶った。この報を受けた帝が海島の五百人に投降を促すと、彼らも田横の死を知り「大王が我らのために死んだのに、我らだけ生き永らえられない」と全員が自刃した。帝はその義に深く驚嘆し、五百人の遺骸を海島に葬らせた。後にこの地は田横島と呼ばれ、廟が建てられ祭祀が続けられている。

季布・鍾離昧の探索と赦免

帝は自分をかつて窮地に追い込んだ季布・鍾離昧の行方を千金の懸賞で追わせた。季布は咸陽の周長のもとに隠れていたが、迷惑をかけまいと自ら奴隷を装い魯国の朱家に身売りした。朱家は正体を見抜きつつも、旧友の夏侯嬰(滕公)を頼って助命を図る。夏侯嬰は帝に「季布は各々その主に忠を尽くしたに過ぎない、私怨で有能な士を追えば天下の人材が離反する」と説き、帝は季布・鍾離昧の罪を赦すこととした。

季布は帝に召し出され、「亡国の臣にすぎない」と固辞したが、帝は「楚への忠義を忘れぬ心こそ評価する」として官職を授け、季布はこれを受けた。

鍾離昧の行方

鍾離昧の行方はなお知れなかったが、洛陽城下に粗末な身なりで現れ、帝への目通りを望む謎の人物が現れる。この後の展開は次回に語られる。