西漢演義第八十二回 張子房は悲しい歌をうたい楚兵を散らす (張子房悲歌散楚)
張良の洞簫の策
張良は、若い頃に下邳で異人から洞簫の吹き方を伝授された経験を語り、簫の音色が人の望郷の情を強く揺さぶることを説明した。深秋の夜、雞鳴山一帯でこの簫を吹けば、楚の兵士たちの望郷の念を煽り、戦わずして八千子弟を離散させられると提案する。韓信はその妙策に感服し、翌日から力攻めを避け、四方に戦車と甲士を増やして囲みを固めつつ、蕭何や諸侯に兵糧の輸送を命じ、樊噲に鑼鼓で楚軍を攪乱させ、灌嬰に霸王の出撃を牽制させる態勢を整えた。
楚軍、糧道尽きる
霸王は三日間出陣できずにいた。季布・項伯は兵糧・馬草の欠乏から軍心の乱れを案じ、霸王自ら八千子弟を率いて先陣を切り、後陣が虞姫を守って続く形での突囲を進言、霸王も同意し翌日の突撃を命じた。
悲歌、楚軍を解体させる
しかし兵士たちは寒さと飢えに耐えかね、望郷の思いを募らせていたところに、深夜、山上から悲しい簫の音と楚の歌が流れてきた。歌は、望郷の切なさ、家族との別れ、戦って死ぬことの空しさを詠い、「漢王は仁徳があり降兵を殺さない、今のうちに逃げよ」と呼びかける内容であった。張良は雞鳴山から九里山にかけてこれを幾度も吹き、漢兵にも楚の歌を歌わせた。夜更けの物悲しい調べに楚兵は皆涙し、やがて「これは天が我らを助けるために送った合図だ、飢えて空の陣を守るより逃げるべき」と語り合い、諸将の号令を待たずに続々と逃亡、八千子弟をはじめ諸営の兵の大半が散り散りになった。
諸将の去就
事態を知った諸将も、「霸王と共に死んでも無益、逃げて再起を図るべき」と考え、鍾離昧をはじめ多くが夜陰に紛れて脱出した。項伯は張良との旧誼や漢王との縁を頼りに投降を図った。一方、周蘭・桓楚は「霸王の恩に報いる」と踏みとどまり、残った八百余の兵とともに陣門を死守した。
霸王、事態を知る
韓信は張良の簫を合図に、灌嬰に楚兵の逃亡を黙認するよう指示していたため、諸将も紛れて脱出できた。目覚めた霸王は営内に楚兵がほとんど残っていないことに驚愕する。周蘭・桓楚が事の次第を涙ながらに報告し、この混乱に乗じて突囲することを勧めた。霸王は涙を流し、虞姫のもとへ別れを告げに向かう。この先は次回に語られる。