西漢演義第54回 董三老は道を遮り漢に帰順を説く (董三老遮道說漢)

董公の諫言

漢王の大軍は河南に至り、洛陽王申陽が出迎える。洛陽の地勢を眺めていると、郷老たちが道を遮って進言を求める。かつて義帝の亡骸を救った董公三老が進み出て、「項羽は主君である義帝を弑逆した天下の賊である。大義名分を掲げて討つべきであり、名分なき戦では天下は服さない」と説く。漢王はこれに納得し、義帝の喪を発し、天下に項羽討伐の名分を布告する檄文を出す。

諸侯の結集

檄文が届くと、諸侯の兵が続々と集まり、一月足らずで五十六万の大軍となる。

東征をめぐる韓信との対立

漢王は韓信に楚討伐の可否を問う。韓信は「天時・地理・歳星の巡りを見るに今年の出兵は不利」として反対し、来年まで待てば必ず勝てると進言する。しかし漢王は「項羽が出征中の今こそ好機」として聞き入れず、韓信には本拠の三秦を守らせ、自らが東征の主力を率いることとする。韓信は大将の印を漢王に返上し、本隊を率いて咸陽に戻る。

韓王の擁立と魏豹の登用

陳留に至ると張良の進言で韓王の孫・姫信を韓王に立てる。張良はその手配のため陳留に留まる。

漢王軍は汴河を渡る際に軍紀が乱れ、これを統率する大将として、張良や酈生・陳平の反対を押し切り、名門の血筋という理由で魏豹を大将に任じる。

彭城入城と項羽の来襲

漢王は陸賈を遣わし彭城を守る彭越を説得、彭越は開城して漢に降る。漢王は彭城に入り後宮の財宝・美女を得て酒宴に耽り、虞子期は虞姫を連れて北へ逃れる。諸将は魏豹の統率に服さず軍紀は緩む。

項羽は彭城陥落と後宮の略奪を知って激怒し、精兵三万を率いて急行、彭城近くに布陣して漢王に決戦を挑む戦書を送る。