西漢演義第二十七回 陳平は計を定め漢王を救う (陳平定計救漢王)
義帝処遇をめぐる評議
- 項羽(霸王)は義帝への報告を怠っていたが、義帝がなお彭城にいると聞き、対応を群臣に諮る。
- 陳平は「天に二日なし」として、義帝を目立たぬ辺地へ実質的に廃するよう進言する。項羽はこれを容れ、范増に桓楚・於英を率いさせ彭城へ赴かせ、義帝を彬州へ移すとともに彭城の宮殿修築を命じる。
- 出立に際し范増は三箇条を諫言する。咸陽を離れぬこと、韓信を重用する(用いぬなら他国に渡さぬよう殺す)こと、漢王を咸陽に留めて自分の帰りを待つことである。項羽は心に留めると答え、范増は彭城へ発つ。
陳平の財政上奏と諸侯の帰国命
- 陳平は財政窮乏を理由に、咸陽に集結する諸侯軍の莫大な費用を挙げ、早期の帰国を上奏する。
- 項羽は新封の諸王に五日以内の帰国を命じるが、漢王だけは別議として咸陽に留め置く。
張良の計と漢王の上表
- 張良はこれを漢王の危機と見て、家族を迎える名目で上表するよう勧め、別に漢王を救う策があると告げる。
- 酈生に書かせた上表で、漢王は父母妻子を豊沛から迎えるための三月の暇を願い出る。
- 項羽は本心を疑うが、漢王が痛切に訴えて涙を流すと心が動く。張良は逆に、家族を迎えに行かせず単身帰国させ、太公ら家族を人質として留め置くよう進言する。陳平も同調し、項羽はこれを採用、漢王には帰郷の暇を許さず褒中へ赴かせることに決める。
- 漢王は褒中行きを承知し謝意を述べる。鍾離昧は范増の遺言(漢王を褒中に入れるな)を持ち出して諫めるが、項羽は既に布告した以上、信を失えぬとして退ける。韓信は密かに、家族を伴わせず褒中に入れたことで、漢王にいずれ帰志を起こさせる結果になろうと嘆く。
漢中への道中
- 漢王が咸陽を発つと、関中の百姓数万が別れを惜しんで道をふさぐ。漢王は彼らを慰め、蕭何が百姓に見送りを控えさせる。
- 一行は安平・扶風・鳳翔・迷魂寨・寶雞・大散関・清風閣・鳳州などを経て桟道(連雲桟)にかかるが、あまりの険しさに山東出身の兵士たちは動揺し、進退窮まって咸陽へ攻め戻ろうと叫び出す。樊噲も同調し、軍勢を返して咸陽へ攻め上ろうとしたところで終わる。