西漢演義第十三回 章邯は陣営を襲い項梁を破る (章邯劫寨破項梁)
楚王朝廷の成立と韓信の登用
- 項梁軍と劉邦軍が合流し、陳嬰とともに楚懐王を盱眙に立てて朝廷を整える。
- 淮陰の韓信が項梁に仕官するが軽んじられ、持戟郎官に留め置かれる。韓信の若き日の貧窮(漂母の恩、股くぐりの屈辱)と、許負に将来の富貴を予言されたことが語られる。
秦軍章邯の東征
- 趙高の督促を受けた章邯は三十万の兵を率いて魏・斉・楚を相次いで撃破し、魏王を滅ぼして陳留方面まで進出した。
楚軍の反撃と東阿の戦い
- 楚王の命で項梁・項籍・范増らが東阿に出陣。項籍は章邯・李由・司馬欣・董翳らを相手に奮戦し秦軍を撤退させ、章邯軍は定陶・濮陽・雍丘に分散して敗走した。
- 項籍は雍丘で李由を討ち取り、劉邦は深追いを蕭何に止められて濮陽に駐屯した。
項梁の油断と定陶での夜襲
- 定陶に籠る章邯を英布が包囲するが落とせず、督戦に来た項梁は攻城を急がせるも攻めきれず驕り高ぶる。執戟郎の韓信や宋義が夜襲への警戒を進言するが、項梁は聞き入れなかった。
- その夜、章邯が奇襲をかけて楚軍陣営を急襲し、酔って備えのなかった項梁は秦の偏将孫勝に討たれて戦死。楚軍は総崩れとなり、章邯は勢いを盛り返した。
- 敗報を受けた項羽は叔父の死を知り、気を失って倒れ伏す。