西漢演義第七回 始皇は徐福に命じて仙を求めさせる (始皇命徐福求仙)
始皇帝の悪夢
- 御花園で休んだ始皇帝は、青衣の童子と紅衣の童子が太陽を奪い合う夢を見る。紅衣の童子が青衣の童子を打ち倒して太陽を抱いて去り、「堯舜の裔、豊沛に生まれ、まず咸陽に入り、蜀に興義を封ず。沙丘に汝は帰し、長安に我は立つ。天命定まり、四百年の祀りあり」と名乗って去った。
- 目覚めた始皇帝はこれを不吉な予兆と感じ、不老不死の薬を求める思いを強くする。
徐福・盧生の求仙
- 燕人の宋無忌の勧めで方士徐福を召し、東海の蓬萊・方丈に長生の薬があると聞いて、童男童女五百人と財宝を積んだ船団を用意させ海へ送り出したが、徐福は消息を絶った。
- 続いて盧生を海に遣わすが不老不死の薬は得られず、代わりに東華山で異人から『天籙秘訣』という予言の書を授かって持ち帰る。書中に「秦を亡ぼす者は胡なり」とあり、始皇帝はこれを北方の異民族と解釈し、蒙恬に命じて長城を築かせた。
焚書坑儒と扶蘇の諫言
- 始皇帝は阿房宮の造営、五嶺の開発など大規模な土木事業を進める一方、李斯の献策により詩書百家の書を焼き、批判した儒者数百人を生き埋めにした。
- 長子の扶蘇がこれを諫めたため、始皇帝は怒って扶蘇を北方の蒙恬軍に送った。
東南の旺気を巡る不安と韓国の老人たち
- 始皇帝は東南の旺気を鎮めるためにさらに東方巡幸に出るが、これにより民は疲弊した。
- 韓の故地の酒店では、老人たちが五百年前の太平の世を懐かしみ語り合う中、趙三公という老人が今の秦の暴政について語りかけられるが、密語を禁じる秦法を恐れて逃げ去る。居合わせた一人の男(後の張良)が、秦の圧政を代わりに語って聞かせ、「愚人は我が意を解せぬ、この恨みをどこへ晴らそうか」と嘆いた。